不思議な眼鏡くん
電車が到着して、ホームドアが静かに開く。

たくさんの人に押されるように、電車に乗り込む。反対側の扉近くまで押しやられた。

電車の中は暖かったけれど、どこか湿気ていて気持ち悪い。中年のサラリーマンの横に流れるように辿りついたが、ちょうどサラリーマンのアゴの下あたりに自分の額がきてしまった。体をねじって顔を遠ざけようとしたが、混雑しているのでうまくいかない。

仕方ない。乗客はみんな我慢してるんだし。

咲は諦めて力をゆるめたが、サラリーマンが突然、混雑の中一歩咲から下がった。サラリーマンの後ろにいる人が、顔をしかめる。

サラリーマンとの間に、響が体を入れる。まるで咲を守るように、腕で窓を支えて空間を作った。

「……ありがとう」
咲は小さくお礼を言った。

電車が発車して、窓の外の景色が動きだす。

咲の体は、響の体とぴったりとくっついていた。揺れるたびに、響の体のどこかに重力をかけてしまう。

胸の鼓動が早くなっているの、気づかれたらどうしよう。

咲は黙って、響の肩の部分を見つめ続けた。

響の香りがする。あの夜、ベッドで包まれたときと同じように。

『俺が、鈴木さんの、初めてになろうか』

この人がいい。

そんなことを思って、咲は自分で慌てた。

もしもう一度そんな機会があるのなら、今度は拒絶できないだろう。たとえこの人にとって、趣味で遊びだったとしても。

抗えない。

咲は狭いスペースの中で、うつむいた。前髪が響の肩に掛かる。自分の考えが恥ずかしくて、とても響の顔は見られない。

なんとか意識をそらせようと、首をひねって窓の外を見た。
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