不思議な眼鏡くん
サラリーマン御用達の居酒屋に入った。壁にはたくさんの手書きのメニュー。タバコの煙に、喧騒。

変におしゃれなお店に連れて行かれなくて、少しほっとした。樹の心遣いかもしれない。

座敷に座り向き合う。樹は手早くおつまみ何品かとビールを頼んだ。

「じゃあ、メリークリスマス」
少しおどけたように、樹がジョッキを掲げる。

それからしばらく、たわいもない話を続けた。仕事のことや、世の中のニュースのこと。まるで同期と普通に飲みにきたようだ。

咲は何度か「あの……」と口を開きかけたが、いずれも樹がかぶせるように違う話題を振ってきた。

わざと話をそらしている。樹の目が気まずそうに泳ぐので、咲も強く出られなかった。

時間だけがどんどんと過ぎていく。ジョッキを三杯開けて、樹はようやく黙った。咲も黙り込む。
時刻は10時。

「やっぱりなあ」
樹がつぶやいた。「聞かなくちゃまずい?」

咲はコクンと頷いた。「聞いてほしい」

樹は背筋を伸ばした。大きく深呼吸。それから「どうぞ」と言った。

「西田くんの気持ちは、正直うれしい。でも、他に、気になる人がいる」
「う……ん」

樹はジョッキを勢いよく掴んで、ぐいっと一口飲んだ。

「だから、ごめんなさい」
咲は頭を下げた。

樹がジョッキをテーブルに置く音がした。それから「まあ、だろうね」と言った。
「わかってて、告白したんだ。仕方ない。はっきり言ってくれたから、これですっきり次に進める」
咲が頭を上げると、樹が自嘲ぎみに笑っていた。

「気になる男は、脈アリなのか?」
枝豆を手に取りながら、樹が喋る。極力普通にしようとしてくれているのがわかって、心が痛んだ。
「そういうのは、ないかな」
先ほどの響の様子が頭に浮かぶ。またふいに、泣きそうになってしまった。

「そうなのか? 伊香保じゃ、そんな感じにも見えなかったけど」
樹が首をかしげた。

「でも、そうなんだ。わたしだけが、頭を支配されていて、ぼんやりするし、ミスするし。いいことなしなの」
咲は笑って見せた。

「お前もちゃんと告白してこいよ。それで思いっきり振られろ」
樹が笑う。
「スパッと、気持ち良く線が引けるぞ」

「そうかもね」
咲は頷いた。
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