不思議な眼鏡くん
「お待たせ」
響がTシャツと短パン姿で入ってきた。湿った髪は持ち上げられて、意外と広い額が見えている。

それからあの瞳も。

……目が離せない。

咲はまた震えてきた。血がすごい勢いで体を駆け巡っている。ごくんとひとつ飲み込んで、咲は自分の膝のあたりのスウェットを握りしめた。

響がベッドに腰掛けると、スプリングが軋んで揺れる。あぐらをかいて、小首をかしげ咲を観察した。

「緊張してる?」
「あたりまえ、です」

響が笑う。
「鈴木さんは、こういう時は丁寧語」

「田中くんは、会社では礼儀ただしいのに、ここでは……」
そこで喉が絡まる。

うまく受け答えもできない。

「あたりまえだろ。会社では後輩。ここでは、ただの男だから」

響が手を差し出す。
「おいで」

大きな掌を見る。男の人の掌。

咲はその手をとった。

向かい合って座る。スタンドの明かりが逆光になって、響の姿は影になっている。

それでもわかる。この人の輪郭、温度、感触。

「今日、玄関の鍵はかかってない。帰りたかったら、今がラストチャンス」
「はい」
「帰らない?」
「帰りません」

響の気配が笑う。それから身を乗り出して、咲の額にキスをした。

それから咲の瞳を覗き込む。
「今から逃げるのは、許さないから」

咲は瞳を閉じた。
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