行雲流水 花に嵐
 枝折り戸に手をかけたとき、喜八が駆け寄って来た。

「ぼっちゃん。待ってくだせぇ」

 はふはふと息をつき、手に持っていた風呂敷包みを押し付ける。

「ぼっちゃん、ちゃんと食ってくだせぇよ」

 風呂敷包みの中は蒸かし餅だ。

「そんな心配せんでも、それなりにちゃんと暮らしてるって」

 苦笑いしつつも包みを受け取り、ふと気付いて宗十郎は懐から波銭を取り出した。

「そうだ。お小夜を探ってくれてありがとうよ。こりゃ情報料だ」

「とんでもねぇ。ぼっちゃんから金なんざ受け取れませんや」

「そう言うな。お蔭で最終的な仕上げが出来たんだ。使い道がねぇってんなら、太一に菓子でも買ってやんな」

 結局船宿を支えていた大物の客が軒並み離れたお陰で、松屋も立ち行かなくなった。
 要蔵が伝手を頼り、その辺の船宿に女子を預けたという。
 伏見には船宿がたんとあるし、相当忙しいので、人手は必要なのだ。

「ぼっちゃん、帰ってくる気はありやせんか?」

 喜八が、宗十郎を窺うように言う。

「ないね。今更俺が入る余地もあるまい」

「今回のことで、大旦那様も考えたようですよ」

 さっき何か言いかけたのはそのことか、と思ったが、宗十郎は気付かぬ風に、空を仰いだ。

「仙太郎の屑さは、今に始まったことじゃねぇ。そんな野郎の尻拭いなんざご免だ。俺はこの家に未練もない」

 少し、喜八が寂しそうな顔をする。
 皆仲良く、幸せに暮らせるのであれば、それが一番だ。
 喜八はそれを望んでいるのだろう。

「喜八。お前は俺を昔から見て来た分、俺が太一のように無垢じゃなかったのもわかっているだろ。この家に、幸せなんかなかったぜ」

「し、しかし今は、仙太郎ぼっちゃんも子を持つ親ですし」

「あれが子を持つ親の所業かよ」

 は、と吐き捨てるように言う。
 喜八は口を噤んだ。

「叶わねぇ夢は見ないことだ。いらぬことを言うと、また仙太郎の怒りを買うぞ。俺のことは忘れるんだな」

 ぽん、と肩を叩き、宗十郎は枝折り戸を開けた。

「これ、ありがとうな」

 包みを掲げて言い、去って行く宗十郎の後ろ姿に、喜八は頭を下げた。
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