行雲流水 花に嵐
「この十数年、音沙汰なく心配しておりました。大旦那様も内心では気にしてらしたでしょうけど、何分家の中ではお小夜様の目が光っております故、手を差し伸べるわけにもいかず……」

 よよよ、と目頭を押さえる喜八を、宗十郎は押し止めた。
 ちなみに小夜(さよ)というのが正妻である。

「いや、そんな昔のことはいいんだ。親父殿はいるか?」

「やはりぼっちゃんも、大旦那様が恋しいですか。そうでしょうとも。立派になられたお姿をお見せになれば、大旦那様もさぞお喜びになりましょう」

 またも目頭を押さえつつ、喜八は宗十郎を表門に促す。
 喜八は良い人だが、思考が甘過ぎる。

 宗十郎には父に会いたいなどという感情はないし、父だって今更宗十郎と関わり合いになどなりたくないだろう。
 昔のこの家の仕打ちを見ているはずのに、何故そのように思えるのだろう、と不思議に思う。

「そんな私的なことではなくて、仕事なんだが。小夜はいるのか?」

 表門からは入りたくない。
 嫌でも家人に会う確率が高くなるではないか。
 会うのは必要最低限の人間だけでいい。

 宗十郎が言うと、喜八は、ああ、と呟いて踵を返した。

「そうですな……。さすがにお小夜様には会いたくないでしょうな……」

 いかな喜八でも、やはり小夜と仙太郎の、宗十郎への仕打ちを知らないわけではないので、そこは納得してくれた。
 ちょっと悲しげなのが気に食わないが、他人を基本的に良い人にしか見ない喜八は、いつまでも確執の残る小夜と宗十郎の間柄が悲しいらしいのだから仕方ない。

「幸い、今はお小夜様は、田川様のお茶会に出掛けております」

 宗十郎の眉間に皺が寄った。
 孫が攫われたのに、呑気に茶会に出るとは。

 思わず口を突いて出そうになったが、思い止まる。
 此度のことは、家の恥だ。
 家の中の者にも漏らさないようにしているかもしれない。

「……ならば、今のうちにお邪魔しよう」

「はいはい、どうぞ」

 嬉しそうな喜八の後について、宗十郎は枝折り戸を潜って庭から離れに向かった。
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