差し伸べた手
 店長は月に一度本社での定例会に出席していた。

社員ではあるが一度も本社に行ったことがない亜子にとって憧れの場所でもあった。

入社当時本社の前を通ったときに近代的なビルに自分の会社名を見つけて高揚したのを今でも覚えている。

噂では本社で働く人達は皆有名大学を出ていてエリートらしい。

でも 「実力次第でお店をお任せします」と求人に書いてあったことは本当で経験がなかった亜子も努力でバイヤーに配属されたのだ。

もしかして本社勤務も夢では無いのかも知れないと心の中で思っていた。

その日店長に誘われてランチに出掛けた。亜子は率直に聞いてみることにした。

「店長、本社ではどんな会議をされているのですか?」

「不毛な会議よ」

「どういうことですか?」

「私じゃなくてもいいということよ。ただの売上報告会よ。五店舗の店長を集めて数字を見比べるだけ。一番数
字の悪い店長がつるし上げられるのよ。それが嫌で次回の定例会までに他の店舗も頑張るの。ラットレースのようなものね。店舗の改善とか提案は通ることはないわ。本社は公務員で言うキャリアよ。私達がどれだけ頑張ってもそこへは行けないの。ガラスの天井というやつね」

亜子は肩を落とした。

「亜子、そんなに落ち込まないで。あなたが次の店長なのよ。あなたなら変えられるわ」

「え?次の店長?」

「そうよ。もうすぐ私は本社へ移動命令が出るらしいわ。この間の会議で言われたの。この意味わかるわよね」

亜子は黙ってしまった。

この会社で店長クラスが本社に異動を命じられるということは、遠回しに用済みだという噂は亜子の耳にも入っていた。

「店長はこの先どうするか決めているのですか?」

「そうね。この会社に残ることはないわ。亜子も知っているとおり、私達が本社へ移動になってもキャリア組の使い走りからスタートよ。そしてそこから這い上がることもない。二度と洋服に触れる事なんてないわ。店長達は皆その事がわかっているから、大抵は他の店のバイヤーとして転職したり、仕入先のツテで小さなお店を出したりね。私はもし本社に移動になったら退職してフォーマに行くつもり。そろそろ辞令も出そうだしね。手は打ってあるわ」

フォーマはアパレル業界では大手の会社で若年層だけではなくミドル、シニアの世代まで幅広いターゲットで知られており海外展開もしている。

「凄いですね。流石店長」

「ここの会社は若年層がメインターゲットだからね。流石にもうこの年齢ではそれを追うのは限界があるし、フォーマならこの先長く働けそうだからね。店長に就任した当初に既にフォーマに誘われていたの。あの会社はうちの会社の店長を何人もヘッドハンティングしているの。一から育てるより実績があった方がいいからね。この実状も本社会議の時に伝えたのよ。会社の為にね。良い人材が流れていっているから店長の今後を改善した方が良いってね。でも鼻で笑われて終わりよ。どうしてうちがあれだけフォーマに水をあけられているかわかっていないの。うちの歴代店長は皆フォーマで活躍しているのよ」

「そうなんですか」

それ以上言葉が出なかった。でも救いは店長がフォーマに転職するということだった。

仕事も出来て特に亜子は可愛がってもらったし、ずっと生き生きと今まで通り仕事をして欲しかったからだ。

店長ならフォーマでもっと活躍するだろう。

そんな話をしてまもなく店長の本社移動が決定し、あの時宣言していたようにこの店を去っていった。

そして亜子が店長となり不毛な会議と言っていた意味を実感することとなった。

店長が言っていたようにこれならば売上の報告書を本社に送るだけでいいだろう。

しかし本社の連中は五店舗で競わせるのに意味を持ちわざわざ呼びつけているのだ。

「亜子なら変えられる」という店長の言葉を思い出して何度か本社に提案や要望、企画書を渡したが一度も採用されることなかったし、採用されるどころか、読んですらいないのだろうとすぐに察することができた。

そのうちその労力も馬鹿馬鹿しくなり、ただただ会議の時間が過ぎるのを耐える日々が続いた。
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