差し伸べた手
直は穏やかな性格で小さい頃から他人と喧嘩や言い争いをすることがなかった。

言いたいことがあっても自分が我慢してその場が収まるならその方が良かったからだ。

母親が何種類かのケーキを買ってきて

「直、好きなのを取りなさい」と一番に選ばせて貰っても、遠慮してなかなか取ろうとしなかった。

勉強は出来たが争い事が嫌いで成績表を張り出されるのが苦痛だった。

いつも上位に名前を連ねていたが順位をつけられるのが苦手で堂々と見に行くことが出来ず、皆が帰った放課後にこっそりと確認した。

上位はいつも同じ名前が入れ替わり立ち替わりしていたが、その誰もが一番になりたがっていたが、直は二番手、三番手の時の方が内心ほっとしていた。

一番になると恨みを買うのではないか、目立ってしまうのではないかとビクビクしていたのだ。

父親はそんな気の小さい直に武道を習わせて鍛えようと考えていたようだが、母親は気が小さいのではなく、優しいのよ、それこそ直の良いところだと庇ってくれた。

そのお陰で武道を習わずに済んだのを何となく覚えている。

父親に言われれば反抗することはなかったので、嫌々武道を習っていただろう。

結局、小さい頃の気の弱さは今でも変わらず、毅然と物事に立ち向かうことが出来ず、更に社長の椅子に座るのも怖くなり、こんなことなら無理矢理武道を習っておけば良かったのかなとも思ったりした。

大切な写真集をカバンに詰めて気づいたら駅のホームに立っていた。

南に行こうか北に行こうか迷っていたがふとカバンに写真集を持ってきたのに気づき北へ向かう列車に乗り込んだ。

北海道に行くなら飛行機で行けば良かったのだが家を出たときには無我夢中で思いもつかなかった。

そもそも自分にそんな勇気や行動力があることに驚いているし本当に列車に乗るなど想定外の出来事だった。

数時間列車に揺られている間に一通社長の側近にメールを打った。

社長はメールをしないので急用の時は側近に連絡していたのだ。

「しばらく家を出ます。探さないでください」

メールを打つとすぐに携帯電話の電源を落とした。
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