僕は弟には勝てない
 30歳になって、会社でもそれなりの責任のある仕事を任された。
 自分で言うのもなんだが、もともと真面目な性格なので、引き受けた仕事はきちんと手抜きせずにこなさないと気が済まない。
 昔から、責任感は強かった。
 それが幸いしたのか、上司から任される仕事も増えている。
 その分、会社を出るのは午前様という事もあったが、待っている家族もいない僕にとって、打ち込める仕事があるという事は救いだった。

 彼女に出会ったのは、そんな残業をした去年のクリスマス・イブの事だった。


 終電に間に合わず、タクシーで帰ろうかと考えている時だった。
 タクシー乗り場にほど近い花壇の淵に、一人寂しく座っていた彼女。
 気分でも悪いのかと声を掛けた。

「どうかされましたか? ご気分でも悪いんじゃ・・・」

 彼女は、顔を上げた。
 その瞳は、僕に向けられているのか、それとも他のものを見ているのかわからなかった。
 焦点が合っていないというか、瞳の中の灯火が消えたような感じだった。
 僕はどうしたものかと考えた。
 時刻は0時半。
 天気予報では未明から雪になるかもしれないと言っていた。
 こんな寒空に、女の子一人を残して立ち去る事は出来なかった。

「あの、そこのカフェで温かいコーヒーでも飲みませんか?」
「・・・」
「ここにいたら、風邪ひきますよ」
「放っておいて下さい」
「えっ?」
「彼を待っているんです。約束したんです。クリスマス・イブに、ここで会おうって」
「そうですか。それは失礼しました。それじゃ、僕はこれで」

 僕は恥ずかしくなった。
 美人の彼女が一人寂しくただ座っている訳がないじゃないか。
 余計なお世話だった。
 彼女、気を悪くしたかな。
 こんな男に声を掛けられて。

 駅前のタクシー乗り場には、十数名の列が出来ていた。
 僕はその最後尾に並び、座ったままの彼女の方へ目を向けた。
 外灯の下でうつむいている彼女。
 どの位の時間、彼女は待たせられているのだろう。
 タクシーの列は少しずつ縮まって行く。
 と言っても、僕の後ろにまた列が出来て、全体としては長くなった気がした。
 カップルが多い事で、今日がクリスマス・イブだという事を再認識させられる。
 時刻は0時50分。
 彼女の待ち人はまだ現れない。
 気温はここへ来た時よりも確実に下がっている。
 いよいよ僕の番になった。
 タクシーのドアが開く。
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