愛され系男子のあざとい誘惑
次の日あの人は来ていなかった。少しがっかりしたけれど、これでいい。冷房は今日もつけてくれていた。田中さんに一度お礼を言わなくてはいけないなと思いつつ、私は黙々と掃除に取り掛かった。


「おはよう」


バカだな。どうして私は学習能力がないんだろう。ちょっと優しくされただけ。それなのにちらちらと時計を見たり、扉が開かないか気にしてばかり。あんなに素敵でかっこいい人なんだから彼女がいるに決まってる。


そう自分を抑えこんでいたのに後ろから声を掛けられただけなのにそれだけで胸が高鳴った。


「お、おはようございます。きょ、今日はスーツなんですね」


「そうなんだ。普段はどんな服でもいいからすごく気楽なのに今日はどうしてもスーツじゃないといけなくてさ」


振り向くといつもは少し綺麗目カジュアルの服装の彼が、スーツ姿で立っていた。元がいいからスーツがよく似合う。見惚れてしまった。


黒い高級感のあるスーツがすらっとした彼にとても似合っていて、きっとこういう人は私とは一番縁遠いんだろうなと改めて距離を感じてしまった。これ以上この人に近づくのはやめよう。今ならまだ引き返せる。



「ねえ、君、ネクタイって結べる?俺、普段やらないから結び方忘れちゃって。結んでくれないかな?」


そう言って私の目の前に立ち、手にしていたネクタイを差し出してきた。どうしよう。ネクタイなんて結べるかな。とりあえず渡されたから受け取ったもののこんな至近距離。でもためらっていると誰かが来てしまう。


なぜだろう。今、他の誰かがこの人のネクタイを結ぶなら私が結んであげたい。そんな気持ちが芽生えた。


「・・・やったことないですけど、下手でもいいですか?」


「やったことないんだ。彼氏はネクタイしない人?」

「・・・彼氏なんていません」

「彼氏いないんだ。そっか」
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