眠り姫と少年のお話
彼女は、この町の領主様夫妻の一人娘だった。
輝く金色の長い髪に、深い緑色の瞳を持つ彼女は、優しく暖かい人柄を持っていた。また町で聞く彼女の噂は、まるで彼女を花にでも例えたような話ばかりで、彼女が誰からも愛されているのだということがよく分かるものだった。
彼女と僕は偶然にも同じ年の生まれで、僕達が出会ったのは7歳の時。領主様夫妻に連れられて町へ視察に来られた彼女の目に、靴磨きをしてお金を集めていた僕の姿が目に止まったことがきっかけだった。
「ねえ、それは何をしているのかしら?」
彼女は靴磨きというものを知らなかったようで、僕にそう話しかけてきた。領主様夫妻や、その傍らで控える使用人達が制止する声も聞かず、彼女は僕に笑顔を向ける。
…当時の僕は、深夜に家に襲ってきた賊に両親を殺されて暫く経った頃だった。両親を亡くした僕は、他に頼れる親戚もおらず、たった一人でこの世界に残された。
最初は何とか一人で生きようと、必死にもがいた。けれど、子ども一人で出来ることなんてたかが知れていて、直ぐに限界がきた。一人では生きていけないことを悟った。
だから僕は、僕と同じように何らかの理由で身寄りがない子どもたちを見つけては声をかけ、共に生きていく為の仲間を作った。生きる為に時には盗みもしたし、自分たちで出来る仕事なら何でもした。
彼女が僕に話しかけた時、仲間たちは彼女のその行動が、僕達に対する冷やかしか憐れみからのものだと思ったようで、あからさまに渋い顔をしていた。
僕も最初は仲間たちと同じように考えていた。だって、彼女は見るからに恵まれた子どもで、僕達とは違う。そんな彼女が話しかけてくる理由なんて、他に思いつかなかった。
けれど、彼女と話しているうちに、彼女は僕たちが何をしているのか単純に興味があって話しかけたのだと分かった。僕のたどたどしい説明を一通り聞き終えると、彼女は満足したのか「教えてくれてありがとう」と言って微笑んだ。
その後、彼女は領主様夫妻の元に戻られ、視察の続きをされたようだった。
…僕は彼女と別れた後、彼女が去っていった方向を眺めて、暫くぼんやりとその場に立ち尽くしていた。
また彼女に会いたいな、なんてことは思っていなかった。ただ、噂通り綺麗で恵まれたあの子と話す機会なんて、きっと人生でこれっきりなんだろうなと思った。
しかし、そんな僕の予想は外れた。
それからというもの、彼女は度々町へ降りてくると目ざとく僕を見つけ、「今度は何の仕事をしているの?」と僕に尋ねに来るようになった。
相変わらず領主様夫妻や使用人達、そして僕の仲間たちは彼女が僕と関わることに良い顔はしていなかった。
だけど、何を言っても僕の元へ来るのを止めない彼女の様子に、暫くすると諦めた様子で溜息をつくだけになった。…そうしている間に、僕と彼女の仲は少しずつ深まっていった。
ある日も、彼女は僕の元にやってきた。
丁度、新聞配りの仕事がひと段落して休憩していた僕に、彼女はいつも通りに話しかけてくる。
「ねえ、私、昨日良いことを思いつきましたの」
「良いこと?」
「ええ。私と貴方で、幼馴染というものになるのですわ」
「…幼馴染?」
「昨日読んだ物語の中に書いてあったんです。そのお話は、とある貴族の娘と、その家に仕える使用人を巡る身分違いの恋のお話なのですけれど…その二人は幼馴染なんですって。だから私たちもその幼馴染というものになれれば、とても素敵だなと思いましたの」
「……ええっとね、幼馴染っていうのは、なろうと思って直ぐになれるものじゃない気がするなぁ」
「そうなのですか?じゃあ、どうしたら貴方と幼馴染になれるのかしら…?」
「幼馴染っていうのは、小さい頃からずっと一緒にいる人達のことだから…」
「あら、それなら簡単ですわね!」
何の問題もない、という風にそう言った彼女は、とても嬉しそうに笑う。
「だって、これからも私は貴方と、こうやってずっと一緒にいるのですから!」
これからも、ずっと。
その彼女の言葉が、じんわりと柔らかな熱を持って僕の心に広がり溶けていく。
本来、貧しい身の上の僕と彼女がこうして顔を合わせて話していることは、本当に稀なことだ。実際、あの時彼女が僕に声をかけなければ、今もこうして顔を合わせ、声を掛け合うことなんてなかっただろう。
それなのに彼女は僕と言葉を交わすばかりか、これからもずっと一緒にいてくれると言う。それが僕にはとても尊くて、大切で、幸せなものに思えた。
だから彼女の言葉通り、こうしてずっと話ができればと、ずっと彼女と一緒にいられればと思った。
…身の程知らずにも、そう思ってしまった。
しかし、お互いが14歳になった頃だったか。僕は彼女の両親である領主様夫妻から、使用人伝いに僕宛の伝言を聞いた。
『このまま私達の娘が貴方のような貧しい者に会い続けていれば、娘の今後に悪影響が出るかもしれない。近々、娘には見合いの席も用意することになっている。
もう子どものお遊びも終わりの時間だ。』
それは、僕を現実に引き戻すには十分過ぎるものだった。
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