眠り姫と少年のお話
鬱蒼とした森の中を迷わずに進む。そうして辿り着いた僕の視線の先には、ひっそりと佇む一軒の小さな家がある。
走っていた足を止め、乱れていた呼吸を整える。そして一歩一歩と、その家の周りに円を描くように張られている結界に足を踏み入れると……一瞬だけ目の前の風景が水の波紋が広がるようにぶれた。しかし、ただそれだけである。
【認識阻害】の力が込められてはいるものの、本当に気休め程度の効果しかないこの結界は、既にこの家の存在を知っている僕にはあまり効果はないのだ。
ギイィーー。
軽くその家の扉を押すと、当たり前のことながら扉の内側にある鍵は不用心にもかけられていなかった。金属の錆びた蝶番が鳴り、木製の扉が僕を簡単に迎え入れる。
こつり、こつり。
静かな室内に響くのは、僕の乾いた足音と呼吸音だけ。
家の中は然程広くはない。建物の中にある部屋は、小さなリビングルームと寝室のたった二部屋。そのリビングもこれまでに使った形跡はない。
リビングを通り過ぎ、その奥にある寝室の扉に手をかける。ドアノブをゆっくりと回し、そっと扉を開けた。
寝室を覗くと、中には生活感を感じさせるような家具なんて殆どなかった。あるのは簡素なベッドと小さな丸椅子が一つずつ、窓、それからひっそりとした薄暗さだけ。
静かに、出来るだけ足音もさせないようにそのベッドに近づく。無意識に息まで潜めようとしていたようで、だんだんと呼吸が苦しくなってくる。しかし、それでも呼吸の音すら立てないように、長く息を吸って長く吐き出した。
そうして、ベッドで穏やかに胸を上下させ眠っているその人を確認する。
緩やかな波をうつ金色の長い髪、今は瞼の下に隠れている深い緑色の瞳、日焼けを知らないまろく白い肌、眠り始めてから変わらない洋服。
この女性こそ、僕の幼馴染である彼女だった。
ベッドの直ぐ横にある木枠で嵌められた小さな窓を開ける。そこから優しく吹き込む風に薄い黄色のカーテンがふわりと浮かんで、萎み、また浮かんでは柔らかく揺れる。
丸椅子を持ってきてベッドの横に置きそこに腰掛け、ふっと息を吐き出した。
「……やあ、眠り姫」
彼女にかけた僕の声は酷く掠れていて、それから微かに震えているのが自分でも分かった。
…ああ、ああ。
僕はなんて情けなくて、なんて醜いんだろう。
だって僕は今、彼女の顔を見て、彼女が今もこうして眠り続けているのを見て…こんなにも安堵しているのだから。
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