神鳴様が見ているよ
ふたりが、リビングを出ていって、部屋から遠ざかる足音、キッチンに入っていった気配も、ここが静かだから、よく聞えるなー。
「んっ」
と喉を鳴らすと、隣の蒼から、はぁーっという長いため息が聞こえた。
「母さん……、むしろ、そっちで言ってくれたほうが、楽」
「なに? 私、絡んでる、弱味ってか、脅迫まがいのネタでしょ? まさかの」
蒼は、がばっと、顔を上げて、眉をひそめて怯えるような目つきで私を見た。
「ナニ? なんだよ」
「なんか、変態っぽいこと?」
叱られたように、蒼はびくっと身を引き、がっくりと首を折り頭を抱える。ちっと舌打ちが聞えた。
「そうなんだ! 変態なこと、ナニ? え? 私に? いつ?」
「……うるせーよ」
瞼を下ろして、軽蔑の瞳でうなだれた蒼を見る。
「否定、しないんだ、変態なこと」
「ヘンタイ、じゃねーよ。引くかも、くらいだ」
「取りようによっては、変態の可能性あるじゃん」
髪をかきむしりながら、また、舌打ちした。
「あーもー! ちくしょー。大したことじゃねーよ! 覚えてろよ!」
乱暴な言葉ばかり。余計に、気になるじゃないの。
「だから、なんなのよ」
蒼は髪をかき上げながら、私をじろっと睨んで、両肩を握った。
「理和を抱いてるときに言う。もう、逃げられなくしてから」
「はぁ?」
「でなきゃ、言わねー」
「ち、ちょっと、どんな変態ごとなのよ!」
「ヘンタイっじゃねーよ!」
「変態に捧げる身はないっ」
肩の手を振りほどいて、蒼に背を向け、ソファの上で膝を抱え、丸くなる。
「このっ、やろっ」
「言わなきゃ、やっ」
「も、俺だって、イヤだよっ」
うなじに、蒼の額が落ちてきて、温かい息が背筋を滑る。
くっと背中に力が入り、すこし反れる。
「母さんには、よく見られてる。神鳴様来ると理和寝ちゃうことあるから、そのスキに」
「す、スキに?」
「キスしたり」
はぁ? キスだぁ? でも、小さい頃は、蒼とよくしてたから、今さらな感。さっきもしたし。
「……したり?」
「触ったりした……言っとくけど、頭とか手とか顔くらいだからな」
「ね、寝込み襲ってんじゃ、ないわよ」
それ以外もだったら、ホント、引くことになる。
けれど、なんとなく、そういう感触に覚えがある。
神鳴様が行ってしまうまでのお昼寝の夢うつつの中、優しい手は、おばあさんを思い出して、安心して眠ったこと。
あれは、蒼だったんだ、キスされたのは、わかんなかったけれど、全然、嫌な感じはしなかった。
こんなことが弱味だったの。私の想いがわからないから、弱味になってたんだ。
たしかに、私に蒼への想いが無ければ、ヘンタ……いやいや、身の危険を感じて引くことだ。
でも、もう、弱味じゃなくなったね。
「お母さんと神鳴様に見られてたんだ、ね」
ふっと、笑ったような息が触れた。
「神鳴様には、いつも、全部、見られてるんだ」
蒼の額が離れて、肩に手が置かれた。
「理和、こっち向いて」
ゆっくりで、力の込めた声音は真剣さが伝わってきて、体をほどいて、蒼と向き合う。
「一度は謝らせてくれ。ごめんな。理和が言い出すまでなんて、ほうっておいていいことじゃなかった、ごめん」
「私も、ごめんなさい。自分勝手で、収めようとして」
蒼は、うなずいて、私の肩をふんわりと抱きしめ、覗き込むように、顔を傾ける。
「謝り合うと、キリないことだ。これきりにしよ?」
涙が出そうになるのを止めるために、顔を引き締めて、蒼を見つめる。
「ん、はい」
「いい? 今すぐってのは、ないけど、ちゃんと計画的に、な」
そして、そっと、指先を私のお腹に当てる。かっと、顔が赤くなるのがわかる。
蒼を見ていられなくて、うつむいて、膝の上で、拳を握り、
「ん、う、ん」
うん、今度は、必ず、愛しんで育てられるはず。
ふたりで想い合って、望む命。
笑おうと頬を緩ませたとたん、堪えていた涙が一粒だけ、頬をつたう。
そっと、指先で拭ってくれた蒼も瞳を潤わせて、微笑んでいる。
突然、授かって、望まなく見捨てたことは、私の中で永遠の罪。
やっぱり、思い出すと胸は痛い。
一生、忘れない痛みやキズは、乗り越えるわけではなく、蒼と寄り添って癒し合っていく、こうやって、この先もずっと。
カップとお皿を片づけていると、蒼が時計をちらっと見て、
「そろそろ、帰るよ」
「え、戻っちゃうの? あ、そっか、明日、仕事だもんね」
「ここから仕事に行く準備してきてないからな。理和が一緒にウチに来てくれると、いいんだケド」
「え、あ、あー……」
なんとなく、キッチンの方と蒼を交互に見る。ふっと、蒼が笑う様な息をついた。
「どうする?」
「う」
恥ずかしくて、どういう顔をしたらいいかわからなくて、うつむいてしまった。すると、軽く頭を撫でる感触。
「連絡する。金曜日の夜は空けといて」
蒼の手をを振り払うくらい、勢いをつけて顔を上げる。
「うん! 待ってる」
蒼は、ヤレヤレといった感じで肩を下げた。
「今日は、ま、いいや。プレゼントいただいたし、な。ホントは、連れて行きたいんだぜ」
「う」
色々、恥ずかしいこと言われて、うつむきそうになるところで、彼は私の首に腕を絡めて、視線を合わせた。
「理和からのキスで、勘弁してやる」
「えっ」
はじかれたように、体を引くけど、首をホールドされてるから、蒼との顔の距離は変わんない。
うつむくことも背けることも、できない至近距離。
「んっ」
ほんのすこし、顔を前に出すだけで触れた唇は、ひと息もなく、離した。
「ナニ、今のでお終い? は?」
「したもん……、今のだって、キスだもん」
「冗談じゃねーよ。カウントしない、も一度」
「ふ、えーん」
蒼とのほんの少しの距離は、唇を触れるだけなら、たやすいけど。
顔を傾けて、すぐに唇が触れると、どこからか震えが上がってきて、ぎゅっと瞳を閉じ、息を止める。
長く長く感じる時間だけれど、多分、ほんのわずかだったと思う。
止めた息が続かなくなってきただけの間だから。
んっと喉が鳴って、唇を離し、息を吸うために薄く開いたら、すぐにふさがれた。
でも、苦しくて、空気が欲しくて、口を開く。
「あ、んんっ」
深く突くように、蒼の唇に押されて、彼の舌に誘われて、導かれるように合わせる。
自分はやり方のわからないキスなのに、受けることはできるなんて、変なの。
でも、それは本能、なのね。
終わりのないくちづけ。
苦しいけど、それもイヤじゃなくて、求めちゃう。
どちらかの足がテーブルに当たって、カップがカチャンと音を立てた。
それを合図に、蒼の唇と腕から解放された。
急にぽかっと空いてしまった気持ちをどうしたらいいか、わからなくて、蒼の胸にしがみつく。
蒼の腕が、ふんわりと私を包む。それは、とても大事にされているように思える仕草だった。
「ん、理和、離れがたい?」
「うん、寂しいの、かな」
「よくデキマシタ。俺は、理和のモンだよ、いつだって、こうしてやるさ」
「私、蒼のいうようなキス、うまくできない」
「うん、鍛えがいがあるな、って感じだな」
「きっ? 鍛えるの、そういうもの?」
「ま、これから、ずっと、時間をかけてで、な」
キスって鍛えるものなんだーって、なんか違う! だけど、出来ない自分が言い返せるわけでもない。
「う、うん」
くすっと笑って、蒼は、私の唇を指先でこするように撫でた。
「よろしい」
「んっ」
と喉を鳴らすと、隣の蒼から、はぁーっという長いため息が聞こえた。
「母さん……、むしろ、そっちで言ってくれたほうが、楽」
「なに? 私、絡んでる、弱味ってか、脅迫まがいのネタでしょ? まさかの」
蒼は、がばっと、顔を上げて、眉をひそめて怯えるような目つきで私を見た。
「ナニ? なんだよ」
「なんか、変態っぽいこと?」
叱られたように、蒼はびくっと身を引き、がっくりと首を折り頭を抱える。ちっと舌打ちが聞えた。
「そうなんだ! 変態なこと、ナニ? え? 私に? いつ?」
「……うるせーよ」
瞼を下ろして、軽蔑の瞳でうなだれた蒼を見る。
「否定、しないんだ、変態なこと」
「ヘンタイ、じゃねーよ。引くかも、くらいだ」
「取りようによっては、変態の可能性あるじゃん」
髪をかきむしりながら、また、舌打ちした。
「あーもー! ちくしょー。大したことじゃねーよ! 覚えてろよ!」
乱暴な言葉ばかり。余計に、気になるじゃないの。
「だから、なんなのよ」
蒼は髪をかき上げながら、私をじろっと睨んで、両肩を握った。
「理和を抱いてるときに言う。もう、逃げられなくしてから」
「はぁ?」
「でなきゃ、言わねー」
「ち、ちょっと、どんな変態ごとなのよ!」
「ヘンタイっじゃねーよ!」
「変態に捧げる身はないっ」
肩の手を振りほどいて、蒼に背を向け、ソファの上で膝を抱え、丸くなる。
「このっ、やろっ」
「言わなきゃ、やっ」
「も、俺だって、イヤだよっ」
うなじに、蒼の額が落ちてきて、温かい息が背筋を滑る。
くっと背中に力が入り、すこし反れる。
「母さんには、よく見られてる。神鳴様来ると理和寝ちゃうことあるから、そのスキに」
「す、スキに?」
「キスしたり」
はぁ? キスだぁ? でも、小さい頃は、蒼とよくしてたから、今さらな感。さっきもしたし。
「……したり?」
「触ったりした……言っとくけど、頭とか手とか顔くらいだからな」
「ね、寝込み襲ってんじゃ、ないわよ」
それ以外もだったら、ホント、引くことになる。
けれど、なんとなく、そういう感触に覚えがある。
神鳴様が行ってしまうまでのお昼寝の夢うつつの中、優しい手は、おばあさんを思い出して、安心して眠ったこと。
あれは、蒼だったんだ、キスされたのは、わかんなかったけれど、全然、嫌な感じはしなかった。
こんなことが弱味だったの。私の想いがわからないから、弱味になってたんだ。
たしかに、私に蒼への想いが無ければ、ヘンタ……いやいや、身の危険を感じて引くことだ。
でも、もう、弱味じゃなくなったね。
「お母さんと神鳴様に見られてたんだ、ね」
ふっと、笑ったような息が触れた。
「神鳴様には、いつも、全部、見られてるんだ」
蒼の額が離れて、肩に手が置かれた。
「理和、こっち向いて」
ゆっくりで、力の込めた声音は真剣さが伝わってきて、体をほどいて、蒼と向き合う。
「一度は謝らせてくれ。ごめんな。理和が言い出すまでなんて、ほうっておいていいことじゃなかった、ごめん」
「私も、ごめんなさい。自分勝手で、収めようとして」
蒼は、うなずいて、私の肩をふんわりと抱きしめ、覗き込むように、顔を傾ける。
「謝り合うと、キリないことだ。これきりにしよ?」
涙が出そうになるのを止めるために、顔を引き締めて、蒼を見つめる。
「ん、はい」
「いい? 今すぐってのは、ないけど、ちゃんと計画的に、な」
そして、そっと、指先を私のお腹に当てる。かっと、顔が赤くなるのがわかる。
蒼を見ていられなくて、うつむいて、膝の上で、拳を握り、
「ん、う、ん」
うん、今度は、必ず、愛しんで育てられるはず。
ふたりで想い合って、望む命。
笑おうと頬を緩ませたとたん、堪えていた涙が一粒だけ、頬をつたう。
そっと、指先で拭ってくれた蒼も瞳を潤わせて、微笑んでいる。
突然、授かって、望まなく見捨てたことは、私の中で永遠の罪。
やっぱり、思い出すと胸は痛い。
一生、忘れない痛みやキズは、乗り越えるわけではなく、蒼と寄り添って癒し合っていく、こうやって、この先もずっと。
カップとお皿を片づけていると、蒼が時計をちらっと見て、
「そろそろ、帰るよ」
「え、戻っちゃうの? あ、そっか、明日、仕事だもんね」
「ここから仕事に行く準備してきてないからな。理和が一緒にウチに来てくれると、いいんだケド」
「え、あ、あー……」
なんとなく、キッチンの方と蒼を交互に見る。ふっと、蒼が笑う様な息をついた。
「どうする?」
「う」
恥ずかしくて、どういう顔をしたらいいかわからなくて、うつむいてしまった。すると、軽く頭を撫でる感触。
「連絡する。金曜日の夜は空けといて」
蒼の手をを振り払うくらい、勢いをつけて顔を上げる。
「うん! 待ってる」
蒼は、ヤレヤレといった感じで肩を下げた。
「今日は、ま、いいや。プレゼントいただいたし、な。ホントは、連れて行きたいんだぜ」
「う」
色々、恥ずかしいこと言われて、うつむきそうになるところで、彼は私の首に腕を絡めて、視線を合わせた。
「理和からのキスで、勘弁してやる」
「えっ」
はじかれたように、体を引くけど、首をホールドされてるから、蒼との顔の距離は変わんない。
うつむくことも背けることも、できない至近距離。
「んっ」
ほんのすこし、顔を前に出すだけで触れた唇は、ひと息もなく、離した。
「ナニ、今のでお終い? は?」
「したもん……、今のだって、キスだもん」
「冗談じゃねーよ。カウントしない、も一度」
「ふ、えーん」
蒼とのほんの少しの距離は、唇を触れるだけなら、たやすいけど。
顔を傾けて、すぐに唇が触れると、どこからか震えが上がってきて、ぎゅっと瞳を閉じ、息を止める。
長く長く感じる時間だけれど、多分、ほんのわずかだったと思う。
止めた息が続かなくなってきただけの間だから。
んっと喉が鳴って、唇を離し、息を吸うために薄く開いたら、すぐにふさがれた。
でも、苦しくて、空気が欲しくて、口を開く。
「あ、んんっ」
深く突くように、蒼の唇に押されて、彼の舌に誘われて、導かれるように合わせる。
自分はやり方のわからないキスなのに、受けることはできるなんて、変なの。
でも、それは本能、なのね。
終わりのないくちづけ。
苦しいけど、それもイヤじゃなくて、求めちゃう。
どちらかの足がテーブルに当たって、カップがカチャンと音を立てた。
それを合図に、蒼の唇と腕から解放された。
急にぽかっと空いてしまった気持ちをどうしたらいいか、わからなくて、蒼の胸にしがみつく。
蒼の腕が、ふんわりと私を包む。それは、とても大事にされているように思える仕草だった。
「ん、理和、離れがたい?」
「うん、寂しいの、かな」
「よくデキマシタ。俺は、理和のモンだよ、いつだって、こうしてやるさ」
「私、蒼のいうようなキス、うまくできない」
「うん、鍛えがいがあるな、って感じだな」
「きっ? 鍛えるの、そういうもの?」
「ま、これから、ずっと、時間をかけてで、な」
キスって鍛えるものなんだーって、なんか違う! だけど、出来ない自分が言い返せるわけでもない。
「う、うん」
くすっと笑って、蒼は、私の唇を指先でこするように撫でた。
「よろしい」