いつも、雨
懐かしさに浸っていると、玄関先から声が聞こえてきた。

恭風と要人が到着したらしい。


「ただいまぁ。」

「おかえりなさい。お兄さま。」

「もう着いてたんや。領子、すまんかったな。おおきに。ありがとう。」


挨拶を交わしながらも、領子の意識は、上機嫌の恭風ではなく、すぐ後ろで微笑をたずさえた要人に集中していた。

恭匡は、無表情のまま、領子の陰に隠れた。


……かわいそうに……。


これまで以上に、父親の恭風にも、死んだ静子にも不信感を抱いているようだ。


いずれ、時間が解決してくれるのかしら。

実の親子ですもの。

大丈夫よね?


領子は祈るような気持ちで、隙あらば自分にしがみついてくる小さな恭匡の背中を撫で続けた。




「おばさま、美味しそうな香りがする。」

遅い昼食のとき、恭匡がそんなことを言い出した。


「え……お菓子とか何も隠し持ってないわよ?」

「そういうんじゃなくて……ふわって、好きな香り……。」


恭匡の説明に、恭風も領子自身も首を傾げていた。

だが、要人だけはよく知っていた。

領子が身にまとう、柔らかい心地よいあの甘い香りを。


「ふーん?何の香水つけてるんや?……わしにはよぉわからんけど。」


恭風に聞かれて、領子はぷるぷると首を横にふった。


「つけてませんわ。……和食をいただくときや、お茶室で、迷惑ですので、香水はつけないようにしてるんです。……強いて言えば……衣類の防虫剤代わりに、調合したお香の匂い袋をたんすに入れてますけど。」


……それだったのか……。

積年の謎が溶けて、要人は無意識に頬をゆるめていた。


それまで社交的な微笑を張り付けていた要人の小さな変化に、領子は目ざとく気づいた。


……やっと笑ってくれた……。


細心の注意を払ってばれないようにしろと命じたのは自分だ。

なのに、やはり、感情を見せてくれないのは淋しい……。


わがままね……わたくし……。

竹原を見習って、無関心を装わなければ。



「……お香って、お線香?」

「いいえ。……香道を習うのは、まだ早いかしらねえ。……匂いのする材料をまぜて香りを作り出すのよ。わたくしのは、天花寺家に代々伝わる調合なの。いくつもあるけれど、わたくしはこの香りが一番好きなのよ。」

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