いつも、雨
「わかりました。」

それだけ言って、要人は電話を切ると、ジャケットを羽織り、懐に財布だけ入れて書斎を出た。


台所で洗い物をしている妻の佐那子の背中に、

「ちょっとトラブったので行ってくる。今夜は帰れない。」

と、わざとぶっきらぼうに言うだけ言って、返事を待たずに玄関へと向かった。


慌てて、佐那子が水道を止めて、パタパタとスリッパの音を立てて追ってきた。靴を履く要人に、佐那子が心配そうに尋ねた。

「こんな時間から……大丈夫?身体……。徹夜になるの?ちゃんと休める?」


要人は、顔をしかめた。

「わからん。移動中に寝るよ。ああ、明日の昼は大事な会議があるから、必ず戻る。悪いが、着替えを原に持たせてくれ。」


佐那子はうなずいてから、いつものように、要人に抱きついた。

「行ってらっしゃい。気をつけて。」


優しい声に、要人の胸がズキズキ痛んだ。


……地獄に堕ちろ。

要人は自分自身を呪いながら、家を飛び出した。



タクシーと電車を駆使して、何とか最終の新幹線に乗車できた。

秘書の原に電話をかけて、佐那子への対応を頼んだ。

『かしこまりました。……が、社長、明日の11時半までには戻っていただけますね?』

今さら野暮なことは尋ねないかわりに、原はしつこく念押しした。


「もちろんだ。ただ……明後日も、調整してくれないか?」


要人の頼みに原は小さく舌打ちした。


『何とかいたします。……いっそ、ヘリポート付の新社屋を建てられては如何です?』

「前向きに検討しよう。ありがとう。」

電話を切って、ようやく一息ついた。


内心はどうあれ、これで、原は佐那子にうまくごまかしてくれるだろう。

優秀な秘書に迷惑と心配をかけ通しだな……。


要人は、座席に戻って目を閉じた。




東京は、細かい雨が降っていた。

タクシーの運転手に行き先を告げて、車窓を眺めた。

これぐらいの雨なら、傘なしでも大丈夫だろう。

朝にはやむといいが……。



天花寺家に到着できたのは日付が変わった0時40分。

さすがに玄関チャイムを押すことは躊躇われた。
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