小倉ひとつ。
光栄です、とかろうじて呟く。何度も言葉を探したけれど、何か言うだけの余裕は残っていなかった。


鼻がツンと痛む。視界は相変わらずにじんでいる。鼻が赤いかも。多分これ、瞬きしたら危ない。


それでも、穏やかで強い眼差しに射抜かれたまま、目がそらせない。


「あなたが覚えていらっしゃるかは分かりませんが」


そう前置きして。


「以前、休憩時間に少し余裕があった日に、お座敷で小倉たい焼きをひとつと、お抹茶をいただこうと思ったことがあって」


いざ注文してあなたがお品物を持ってきてくださったとき、ちょうど運悪く、すぐに戻ってほしいと仕事の電話が入ったんです。


「焦りました。できる限り急ぎますと伝えたものの、昼食返上は確定でしたし、注文してしまっているしで、どうしようかと」


それで。


「これはもう諦めるしかない、申し訳ないけど処分していただこうとあなたに声をかけようとしたら、『少々お待ちください』とおっしゃって」


そうだ。

お電話の内容は瀧川さんの様子を見れば明らかだったから、持ってきたたい焼きとお抹茶をそのまま持って、急いで退出したのだ。


「え、と思っていたら、紙袋を持ってあなたが戻ってきてくださって。その中に、包んだたい焼きと、紙コップに移し替えたお抹茶がありました」
< 134 / 420 >

この作品をシェア

pagetop