小倉ひとつ。
その日のたい焼きはカレーで、時間が経つと皮に油分が染み出してしまうものだった。


たい焼きは普通、紙で包んで、紙袋に入れてお渡しする。


でも紙だけだと染みるから、透明なビニール袋に入れてから紙で包んで、小さい紙袋に入れてお渡しした。


お持ち物が汚れてはいけないだろうって厳重に注意して包装したのは、接客業としては当然だけれど、あんまり目立たないことだった。


でも瀧川さんは、作業する私におっしゃったのだ。


『ありがとうございます。お手数おかけしてしまってすみません』


びっくりしてしまって、いいえって呟くのが精一杯だった。


店員なんだからドアは開けるものだとか、ありがとうございますとかごちそうさまでしたとかって言ったお連れさまに、お前そういう恥ずかしいこと言うなよって言ったりとか、こういうお仕事をしていると、なんでもないことにはお礼を言われないことが多い。


なんでもないことは、なんでもないことのまま気づかれずに、もしくは気づいてもらえても何も言われずに終わる方が多い。


だから、気づいてもらえただけで、まして声をかけてもらえたら、なおさら嬉しい。


礼儀正しい、で思い返すのはいつでも瀧川さんだった。
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