恋する人、溺愛の予感
恋する人、溺愛の予感


「水。」

そう言って目の前に差し出されるのは私より幾分か大きな彼の左手。

男性らしく大きいながらも、しなやかな指が弧を描いている。

「はい。」

その手に私がおさめたのは先程買ったペットボトル。

ありがとうの一言も無しに、何の疑いもせずに彼はそのペットボトルを自分の口に運ぶ。

道路を静かに見つめている彼が面白くてたまらない。

「ふゴッ!」

「フフ。」

思わず心の中で爆笑していたものが出てきてしまった。

「ちょっと海ちゃん。」

彼は歯を抑えながら私の方を見て名前を呼ぶ。

笑みを見せながら、なんですか?と首をかしげる。

ふんだ、ザマーミロ、ベロベロベ〜!

なんて心の中で思いながら。

「なんでキャップがついてるの?」

「そのくらい自分で出来ますよね?」

それとも出来ないんですか?

「優秀な外科医でいらっしゃるのに。」

「そのくらい察してよ、優秀なオペ看でしょ?」

「ここはオペ室ではありません。
いつでもどこでも、メスと言えば出てくるわけではないんですよ。
赤信号なのに自分でしないのはただのナマケモノです。」

「つれないな〜。」

「魚ですか?」

分かってるけどあえて真顔で言ってみる。

私の顔を一目見てハンドルにおデコをつける彼。

「先生、青です。」

後ろからクラクションを鳴らされ慌てて車を発進させた彼は、中堅も良いところの凄腕の外科医さん。

神内 拓人(じんない たくと)、34歳。

凄く尊敬させて頂いてはいる。

オペ中は少しでもオペに貢献出来るようにと、必死になって彼のオペを観察し分析して様々な事を学ばせて頂いていたり。

自ずと尊敬して恐縮してしまい声も小さく、態度も丁寧に…なるはずだったんだけど。



「海ちゃんのせいで水飲み損ねたじゃん。
ちゃんと飲ませてね。」

そう言って口をパクパクする彼はまるでツバメの雛みたい。

「ってまさか…。」

「ん?口で。」

こんのセクハラおやじ!

なんて叫べるはずもなく。

渋々、ペットボトルのキャップを開けて手渡した。

「…ケチ。」

ケチって34歳のおじさんが口を尖らせて使う言葉じゃないでしょ。



…と、こういうわけで、普段は極度に緊張する事も恐縮することもなく普通に会話しています。

というか、少し突き放すくらいがちょうど良い。


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