旦那様と契約結婚!?~イケメン御曹司に拾われました~
そもそも俺は、天才なんかではなかったんだ。
大手航空会社を経営する父と、元バイオリニストの母。
音楽好きなふたりの間に生まれた俺は、生まれた頃から音楽や楽器に囲まれた環境にいた。
中でも、家にあったグランドピアノがおもちゃの代わりで、物心ついた頃には毎日必ずピアノに触れていた。
食事より、勉強より、友達と遊ぶことよりもピアノを弾くことが好きで、1曲、また1曲、弾ける曲が増えていくことが嬉しかった。
弾ける曲が増えていくと、今度は上手く弾きたいとか聴かせる弾き方をしたいとか、もっともっとと求めていった。
そんな俺を見て、母は積極的にコンクールや演奏会に出してくれた。
賞がもらえなくても、人前でピアノを弾ける機会が貰えることが嬉しかった。
演奏を聴いた人々に、感動や興奮を感じてもらえることが子供心に嬉しかった。
そんな気持ちとは裏腹に、どんどんと増えていく賞。
バイオリニストという母の名のおかげもあったのかもしれない。けれど気づけばどんどんと名が広まり、いつしか俺は『天才ピアニスト』と呼ばれるようになっていた。
そのうち海外の有名な音楽家に気に入られ、ウィーンでピアノ中心の生活を送った。
最年少プロとして活躍することを喜び、海外生活に付き添ってくれた母。
学びやすい日本人学校とピアノの技術からメンタル面も育ててくれた恩師。日本に帰る度、笑顔で迎えてくれる人々。
それらの環境にはとても恵まれていたと思う。
ありがたいと思うと同時に、俺はこれからも一生、ピアニストとして生きていくんだろうと当たり前に思っていた。
そのうち日本でももっと活動をしよう。
長く暮らしたのは海外でも、愛着があるのはやはり日本だ。
そう思っていた頃、知人から紹介されたのがあの家だった。