甘くて苦い恋をした
「明日はアポ何件入ってんの?」
帰りの車の中で加瀬さんに尋ねられた。
今日は加瀬さんのおかげで、何とか乗り切れたけれど…
「えっと3件です。9時と2時と4時です…」
「9時か… 俺も9時からアポ入ってんだよなあ… どうすっかな」
唸るように加瀬さんが呟いた。
「加瀬さん、私一人でも大丈夫ですよ」
「どこの店?」
「桜町のラザンっていう店です。恐らく2号店を出したいとかそういう相談だと思うんですけど…」
「じゃあ、とりあえず明日は要望だけ聞いてきて」
「はい 分かりました。」
「よし じゃあ、今日はお疲れ… 俺この後、社に寄ってくから家まで送ってやれないけど… 気をつけて帰れよ」
加瀬さんはそう言うと、駅のロータリーに車を止めた。
「仕事ですか? それなら、私も一緒に」
「いいよ 今日は早く帰ってゆっくり休め」
軽く頭をポンとされて、私は車を降ろされた。
恐らく加瀬さんは、報告書や提案書を残って仕上げる気なのだろう。
昨日から坂口さんもいないし、雑務も相当たまってる筈だ。
この週末はサクラガーデンのレセプションパーティーだってあるのに、こうして私のフォローまで…
ごめんなさい
加瀬さん…
加瀬さんの体が凄く心配だった。
***
“なるべく加瀬さんには負担をかけないようにしよう”
“成長した姿を見せて、加瀬さんを安心させてあげよう”
次の日、私はそんな思いを胸にして、『ラザン』へとやって来た。
この店は、昼はカフェとして営業し、夜になるとガラリと雰囲気を変えてバーになる。
ちょうどこの時間は、開店準備に追われたスタッフ達が忙しそうに動き回っていた。
暫く私は、店長室で待たせて貰うことにした。
「あれ? 今日は高本さん一人?」
朝からバシッと決めたスーツで姿を現したのは、店長の佐伯さんだ。
彼はまだ20代なのに、この店のオーナーでもある。
私は立ち上がり、慌てて頭を下げた。
「はい 結城がこの度急な退職を致しまして… 後任の者が決まるまで、暫く私が一人で担当させて頂きます…ご迷惑をおかけして申し訳ございません。」
「ああ いいよいいよ… 高本さんと二人きりの方が僕としては嬉しいしね ずっと可愛いなって思ってたから」
スマートな笑顔を浮かべて、佐伯さんがそう言った。
「あの えっと あ…りがとう…ございます」
私はこういう時の社交辞令を、どうも上手くかわせない。
「アハハ 高本さんってホント男慣れしてないな… 俺の周りにはいないタイプで新鮮だよ」
クスクスと笑われ、完全にペースを崩された。
でもダメだ
しっかりしないと…
「あの 佐伯さん、本日のご相談内容をお伺いしても」
「う~ん 今日はいいかな… 急ぐ話しでもないしね…それより、せっかくだからさ」
「え…」
戸惑う私に、佐伯さんがニコリと笑った。