物語はどこまでも!

「通常、物語の世界の単位は“一冊”だ。同じ書籍は数多く存在しようとも、同じストーリー、同じ姿の住人(登場人物)がいようとも一冊(世界)ごとに彼らは生きている。個性があり、性格も違う。豆の木に登るのが嫌になったジャックがいる傍ら、別の本のジャックはそこに豆の木があるからと登ることを己が使命として燃えるものもいる。彼らは出会うこともないし、同じ物語だからといって互いの世界を行き来することも出来ない。唯一、あらゆる本に行き来出来るのは『訪問』が出来るこちらの住人だが、それでもこちらを中継点としなければ複数の本への行き来は不可。

だというのに、だというのにだよ……!『そそのかし』はどこの世界(本)にも存在している。これはつまり、どこの世界にも自由に行き来できることではないのか?」

今世紀最大の発見をしたかのように、打ち震える野々花だが、それには口を挟んでしまう。

「住人の行き来は、さほど珍しくはありませんよ。トラブル解決がため、物語界の住人を一時的に別の本へ派遣することができます」

「“自らの力で自由に”だよ、自由に。物語界の住人たちは自らの意思で本の中を行き交うことは出来ない。それを実行するには聖霊『ブック』の力が不可欠だが、あれも私たちが多くの書類(手続き)を踏んで初めて認められるものだ。この話を考えれば、『そそのかし』は『ブック』と同じ力を持っていると思わないか?」

「飛躍しすぎですよ。第一、本と本の移動はセーレさんでも出来ます」

唯一の人にしても、既に出来る人がいるのだ。既存がいるならば、それが出来るものが今後出てきても不思議ではない。

「そうだな。セーレの空間移動や、物語改竄能力は皆周知の事実。今回、『そそのかし』がどこの世界にもいることをさほど重要視していなかったのは、彼(既存)がいたからもあるが。今回の件で『そそのかし』は未知となった」

彼のようにどこへでも移動出来る虫。彼の場合は、物語の世界でしか存在出来ないから自由気ままに移動している程度の話でしかないが。

「『そそのかし』は、こちらの世界にまで“来よう”としている」

確定された言い方は人々を恐怖させる悪意あるものだった。

「セーレでも我らの世界に来ることは出来ない。お前に会いたく何度も試みただろうが、結果は一人のお前が物語ろう。だというのに、口だけの黒い虫が、その実、誰も成し遂げていない前代未聞をやり遂げている。誰にも破られない壁(ルール)を平気で壊し、侵食している。侵食したところで出来ることはたかが知れている、所詮は絵本の中の出来事だけでしたなかったのに」

虫は事も無げに、こちらにまで来てしまった。恐怖すべきことなのに、それを話す野々花はまったく逆の表情を浮かべていた。

「今回は私が“連れてきてしまった”にせよ、奴らは我々の世界まで侵食するまでに至った。成長とは進化。体の大きさが変わっただけではない。“進化したからこそ、成長したんだよ”。『そそのかし』を捕まえた事例は少ないが、小指ほどの大きさであるとした報告書の日付はそう昔ではない。それが今や、手のひらほどまで成長している。奴らは我らの目が届かぬところで、着実に驚異的なスピードで成長し続けている!

いずれは、こちらの世界でも『そそのかし』を始めるのか。そう思えば、『耳を貸さなければいい』という話にまた落ち着くのだろうが。私はな、雪木。もっとそれ以上のことが起こるのではないかと思っているのだよ」

それは未知数の恐怖。何が起こるか分からないからこそ、最悪を想定するはずなのに野々花の顔は最初から変わっていない。

笑っている。自覚したか、片手を添えて隠してみるも、“分かるだろ?”と私にもその気持ちの賛同を求められた。

「この素晴らしき世界で、問題(何か)が起ころうとしている。平和な世の中が脅かされる。恒久的に変わらないと皆が思っている世界が壊されることなど言語道断。なのにどうしてか、胸躍るのだよ。私はこんなにも悪の心を持っていたのかと泣き咽びたくもなるのに、頭の片隅で思ってしまう。ーー誰だって、“こうもなる”と」

一番の幸福は平凡な何もない毎日を送ることと、誰かが言った。それはきっと、平凡ではない毎日だったからこそ言える言葉。

ならば、その幸福が実現され、平凡な何もない毎日を送る私たちはどうだ?

約束された幸福。笑顔ばかりに満ち溢れた世界。平凡と言えども、皆確かに生きていたいと思える世の中には違いない。穏やかな人生を送るために必要な要素がここには溢れている。

そんな中で、特別ーーいいや、“刺激”を求めている人にはこうも言いたくなる。

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