To a loved one 〜愛しき者へ〜
愛する友の為に...
━━太陽3年9月15日。
長野県信濃地区小県の上田女子高。
徳川珠美の軍は、苦戦していてた。
━━徳川珠美(とくがわ・たまみ)。
肩までの黒髪のストレートが似合う、高校一年生の美少女で、徳川七瀬の妹である。
珠美の軍は真田純奈が守る上田女子高を、三万五千人の女子高生を動員して攻めていた。
純奈の軍は二千人。
数では、圧倒的に有利ではあったが、相手は武田二十四将トップクラスの名軍師だった、真田純奈である。
学校周辺の地理などを、巧みに利用して抵抗していた。
━━結局、珠美の軍は上田女子高を落とせなかった...。
━━岐阜県美濃地区関ヶ原。
島津怜奈は、ここ関ヶ原に陣を構えていた。
「私は、お世話になった絵梨花様の方に付きます。
その気持ちは今も変わりません。
よろしいですか?」
怜奈は家臣達に訊いた。
「はい。」
家臣達は返事をした。
出陣の準備は出来ている...。
━━その時、一台の原付バイクが近付いて来た。
その原付バイクは、怜奈達の前で止まった。
運転していた少女は、原付バイクに股がったまま、
「島津軍の皆様、ご出陣をお願い致します。」
と言って、また去って言った。
「怜奈様、参りましょう。」
それを聴いた家臣達が促す。
「......。」
怜奈は、少し間を置いて、
「参りません。」
と言った。
「?」
家臣達は、怜奈を見た。
「私は一年生ですが、大名です。
原付バイクに乗っていたので、彼女も一年生でしょう...。
いくら同級生とはいえ、バイクに股がったまま話し掛けて来るのは、無礼にも程があります。
よって、今は動きません。」
と、怜奈は言った。
━━この時代で、自分の主君以外の大名に対して、バイク等に乗ったまま話し掛けるのは、大変失礼な事であった。
島津怜奈は大名で、しかも《従四位下(じゅしいげ)》で《参議(さんぎ)》の令外官である。
これは、石田絵梨花達よりも明らかに上だ。
絵梨花達の家臣なら、その辺りの教育は出来ているはずだ。
おそらく、西軍の他の大名の家臣だろう…。
━━豊臣麻衣がこの世を去ってから、色々な事が乱れ始めていた。
━━その頃、山形県出羽(でわ)地区で、上杉史緒里達の西軍と、伊達蘭世の東軍が衝突した。
この様に全国各地で、西軍と東軍が衝突した。
岐阜県美濃地区の関ヶ原が、一番大きな戦となった為、《関ヶ原》の名前を取り、《〇〇の関ヶ原》と呼ばれた。
史緒里と蘭世の戦は、日本の北での戦なので、《北の関ヶ原(きたのせきがはら)》と呼ばれた。
北の関ヶ原は、伊達蘭世の東軍が勝利した。
━━関ヶ原、大谷沙友理の陣。
沙友理は口には出さなかったが、分かっていた。
(この戦、私達に勝ち目はない...)
でも沙友理は逃げずに、戦う事を選んだ...。
「この命に代えても、絵梨花を守る...。」
沙友理は家臣達を見て、
「命が惜しい方は、私の陣から出て下さい...。」
と言った。
「いいえ、私は沙友理様から離れません。
沙友理様がどれだけ、私達に良くして下さった事か...。
ここで、ご恩を返さなければ、いつ返すのです。」
と、家臣の一人が言った。
他の家臣達も頷いた。
「ありがとうございます。」
沙友理は、頭を下げた。
「沙友理様!!」
一人の家臣が駆け寄って来た。
「どうしました?」
沙友理は、家臣を見た。
「小早川(こばやかわ)の軍が、東軍に寝返りました。
小早川の軍は、絵梨花様達の近くに、陣を構えているそうです。」
と、家臣が答えた。
「!?」
沙友理はハッとして、
「絵梨花が危ない!!」
と叫んだ。
━━絵梨花達の軍は、ピンチに陥っていた。
西軍が八万人に対して、東軍は十万四千人...。
ただでさえ数で不利な状況なのに、このタイミングでの寝返り。
絵梨花達の軍は、東軍の攻撃を防ぐのがやっとの状況だった。
━━そこへ!!
「絵梨花、逃げて!!」
と、叫ぶ声がした。
━━沙友理の軍である。
「さ、沙友理!!」
絵梨花は、沙友理を見た。
「絵梨花は生きて!!」
沙友理は絵梨花を見て、
「ここは私が食い止める!!」
と言った。
「何言ってんの!?
沙友理も一緒に行こう!!」
と、絵梨花は言った。
「あの日のコーヒーの事...。」
沙友理は、絵梨花を見つめて、
「私...すごく嬉しかったんだ...。
こんな私の事...“親友”って言ってくれて...ありがとう...。」
と、涙を浮かべなから言った。
そして沙友理達の軍は、敵陣に突入した!!
「沙友理ー!!」
絵梨花は、大声で叫んだ!!
━━沙友理は、絵梨花達を逃がす事には成功したが、東軍の力には勝てず、最後は観念して自害した...。
大谷沙友理、高校一年生。
愛する親友の為に命をかけた、美少女の短い一生であった...。
長野県信濃地区小県の上田女子高。
徳川珠美の軍は、苦戦していてた。
━━徳川珠美(とくがわ・たまみ)。
肩までの黒髪のストレートが似合う、高校一年生の美少女で、徳川七瀬の妹である。
珠美の軍は真田純奈が守る上田女子高を、三万五千人の女子高生を動員して攻めていた。
純奈の軍は二千人。
数では、圧倒的に有利ではあったが、相手は武田二十四将トップクラスの名軍師だった、真田純奈である。
学校周辺の地理などを、巧みに利用して抵抗していた。
━━結局、珠美の軍は上田女子高を落とせなかった...。
━━岐阜県美濃地区関ヶ原。
島津怜奈は、ここ関ヶ原に陣を構えていた。
「私は、お世話になった絵梨花様の方に付きます。
その気持ちは今も変わりません。
よろしいですか?」
怜奈は家臣達に訊いた。
「はい。」
家臣達は返事をした。
出陣の準備は出来ている...。
━━その時、一台の原付バイクが近付いて来た。
その原付バイクは、怜奈達の前で止まった。
運転していた少女は、原付バイクに股がったまま、
「島津軍の皆様、ご出陣をお願い致します。」
と言って、また去って言った。
「怜奈様、参りましょう。」
それを聴いた家臣達が促す。
「......。」
怜奈は、少し間を置いて、
「参りません。」
と言った。
「?」
家臣達は、怜奈を見た。
「私は一年生ですが、大名です。
原付バイクに乗っていたので、彼女も一年生でしょう...。
いくら同級生とはいえ、バイクに股がったまま話し掛けて来るのは、無礼にも程があります。
よって、今は動きません。」
と、怜奈は言った。
━━この時代で、自分の主君以外の大名に対して、バイク等に乗ったまま話し掛けるのは、大変失礼な事であった。
島津怜奈は大名で、しかも《従四位下(じゅしいげ)》で《参議(さんぎ)》の令外官である。
これは、石田絵梨花達よりも明らかに上だ。
絵梨花達の家臣なら、その辺りの教育は出来ているはずだ。
おそらく、西軍の他の大名の家臣だろう…。
━━豊臣麻衣がこの世を去ってから、色々な事が乱れ始めていた。
━━その頃、山形県出羽(でわ)地区で、上杉史緒里達の西軍と、伊達蘭世の東軍が衝突した。
この様に全国各地で、西軍と東軍が衝突した。
岐阜県美濃地区の関ヶ原が、一番大きな戦となった為、《関ヶ原》の名前を取り、《〇〇の関ヶ原》と呼ばれた。
史緒里と蘭世の戦は、日本の北での戦なので、《北の関ヶ原(きたのせきがはら)》と呼ばれた。
北の関ヶ原は、伊達蘭世の東軍が勝利した。
━━関ヶ原、大谷沙友理の陣。
沙友理は口には出さなかったが、分かっていた。
(この戦、私達に勝ち目はない...)
でも沙友理は逃げずに、戦う事を選んだ...。
「この命に代えても、絵梨花を守る...。」
沙友理は家臣達を見て、
「命が惜しい方は、私の陣から出て下さい...。」
と言った。
「いいえ、私は沙友理様から離れません。
沙友理様がどれだけ、私達に良くして下さった事か...。
ここで、ご恩を返さなければ、いつ返すのです。」
と、家臣の一人が言った。
他の家臣達も頷いた。
「ありがとうございます。」
沙友理は、頭を下げた。
「沙友理様!!」
一人の家臣が駆け寄って来た。
「どうしました?」
沙友理は、家臣を見た。
「小早川(こばやかわ)の軍が、東軍に寝返りました。
小早川の軍は、絵梨花様達の近くに、陣を構えているそうです。」
と、家臣が答えた。
「!?」
沙友理はハッとして、
「絵梨花が危ない!!」
と叫んだ。
━━絵梨花達の軍は、ピンチに陥っていた。
西軍が八万人に対して、東軍は十万四千人...。
ただでさえ数で不利な状況なのに、このタイミングでの寝返り。
絵梨花達の軍は、東軍の攻撃を防ぐのがやっとの状況だった。
━━そこへ!!
「絵梨花、逃げて!!」
と、叫ぶ声がした。
━━沙友理の軍である。
「さ、沙友理!!」
絵梨花は、沙友理を見た。
「絵梨花は生きて!!」
沙友理は絵梨花を見て、
「ここは私が食い止める!!」
と言った。
「何言ってんの!?
沙友理も一緒に行こう!!」
と、絵梨花は言った。
「あの日のコーヒーの事...。」
沙友理は、絵梨花を見つめて、
「私...すごく嬉しかったんだ...。
こんな私の事...“親友”って言ってくれて...ありがとう...。」
と、涙を浮かべなから言った。
そして沙友理達の軍は、敵陣に突入した!!
「沙友理ー!!」
絵梨花は、大声で叫んだ!!
━━沙友理は、絵梨花達を逃がす事には成功したが、東軍の力には勝てず、最後は観念して自害した...。
大谷沙友理、高校一年生。
愛する親友の為に命をかけた、美少女の短い一生であった...。