ブラック・ストロベリー








あんなに好きだった、のに。









「比奈瀬、」


通路を挟んで向こうから、藤さんの落ち着いた声がわたしを呼んだ。

ふう、と息をついたとたん、言葉は私に向けられる。



「俺と付き合ってみないか?」


「、え」


驚いて藤さんの方を向けば、相変わらず涼しい顔をして普段は絶対座らない座席に当たり前のように座っていた。


私の視線を感じたのか、藤さんがこちらを向いた。
いつもと変わらないはずなのに、その視線が熱っぽくて心臓が音を立てた。



「俺、割と態度に出してたと思うんだけど、まあ気づかないよなあ彼氏いたし」


はは、なんていつも通りに笑って、とんでもない発言をした人とは思えなくて、驚きと戸惑いが入り混じって何の言葉も出なかった。



「前、比奈瀬が酔ってたときに俺、駅まで送ったの覚えてる?」


そう聞かれて、覚えてませんと正直に首を振った。

外でお酒を飲みすぎるとアイツの機嫌が悪くなるからめったに羽目ははずさなかったつもりだ。

けれど酔ったときの記憶は大体覚えてないし、送ってもらったなんて初耳だから戸惑った。


「駅まで送ったらさ、駅に比奈瀬の彼氏がいたんだ」


は、と勢いに顔を上げたら涼しい顔した藤さんがこちらを見て笑った。



「なんの変装もなしに比奈瀬を支えてる俺に向かって、俺が持ち帰るんでなんて言うから正直驚いたよ」


そんな話を聞いたことはなかった。

大抵私が飲みに行った次の日の朝は朝から少しだけ不機嫌に暴言はいてくるのが普通だった。


なんにも、そんなこと言わなかったくせに。



「ブラストのボーカル、まさか身近に芸能人の彼女がいるなんて思わなかったよ」



おまけに、自分が狙ってた相手に、なんて冗談交えていった藤さんは、少し時間を置いて窓の外を見てそちらを指さした。






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