以心伝心【完】
財布は真が持ってくれてるから一緒に会計に並ぶ。なんとなく前に並ぶお客さんが気になり、じっと見てると30代半ばの夫婦が腕を組んでいた。子供は傍にいない。
女の人は優しい顔で男の人の横顔を見つめていて、男の人はそれに気付いて微笑みながら話を進める。そんな雰囲気が俺達にはないから羨ましくて少し見ていた。俺たちもこんな風になれる時が来るのかな、と隣の真を見るとかなり深く俯いていた。
「どした?気分悪い?」
聞いても俯いたまま首を振るだけ。さっきまではしゃいでたくせにここに並んだ途端に俯くなんておかしい。
「真、大丈夫か?」
名前を呼んだ瞬間、ピクンと反応して目を泳がせた。それと同時、だったと思う。俺達の前に並んでる夫婦の男の人の方も一瞬だけど止まった気がした。
偶然なのかもしれないけど。
「あら、気分悪いの?大丈夫?」
そんな思考はこの人によって止められた。前に並んでいた女の人が真が俯いているのに気付いて声をかけてきてくれた。
「あら、あなた・・」
口元に手を当てて数秒考えたあと閃いたように隣の男の肩を叩いた。
「坂本さんじゃない?ねぇ、あなた」
男の人は女の人に一度微笑むとこちらを振り返り、俺を見ることなく真を見た。
「あぁ、坂本さんだ。久しぶりだね」
「あ、はい。お久しぶり、です」
真が目を泳がせた。一瞬合った視線を逸らすように。
「今は仕事をなさってるの?」
「はい」
「そう、頑張ってね」
男が挨拶を交わして、女の人が話すと男の人から会話を切った。それは会計の順番が来たからで全く不自然ではなかったけど、隣の真が深く息を吐くのを見て抑え切れない苛立ちが込み上げてきた。
俺の知らない過去の真が隣にいる。そして、俺が隣に立つ前に真の隣にいた男が目の前にいる。聞いていなくても雰囲気が、俺の第六感がそう言ってる。
ここまで真を動揺させる男にひどく嫉妬する。
過去なんてどうでもいいと思ってた。真の前の男が誰であろうと、その男の存在を消して塗り替えられるくらいの存在になってると思ってたから。だけど、この男に出会ってそれは自意識過剰にすぎないと思い知らされた。
過去の恋愛を言おうとしなかった理由も動揺した理由もあるはずで、それを真に無理やり聞くつもりはない。だから俺が嫉妬心で苛立つのは間違ってる。
以前の俺なら黙っているというのは疚しい事があるからだ、と決めつけてさっさと別れを切り出してたと思う。
でも今は違う。ちゃんと真実を聞いて受け止めて、その過去も全て抱きしめたいと思う気持ちがある。
どんな男と付き合って、どんな過去があるにしろ、全てが真自身だと思える。真が以前の遊んでた俺を軽蔑せず、何も言わずに受け入れてくれたことがそうさせてる。だから今度は俺がそうする番だと思った。
「お先に。お幸せにね」
女の人が俺に会釈して真に微笑んだ。男は一度も俺を見ようともしなかった。だけど、真を見るその眼差しが優しくて、愛おしいモノを見るような目で見るから無意識に睨んでいたんだと思う。
俺とは目を合わせなかったけど、女の人と同じように軽く会釈をした。それを真は見ていたかどうかはわからない。
真が袖を引っ張って会計が終わったのを知らせるまで男の背中を見ていた。
「びっくりしたー。知り合いに会うってむっちゃ気まずいな」
そう言った真は本当に笑顔で、何もなかったかのように振る舞っていて繋いでた手を握りしめてしまった。
「圭一?」と覗き込む顔は心配そうで、あの男にもそんな顔を見せていたのかと思うと胸が締め付けられた。
こんな風になるなら知らない方がよかった、そんな思いが過ぎった。だけど、それじゃ胸のモヤモヤは取れない。
ちゃんと受け入れるって決めたんだ。俺は真を見つめて怒りに任せたキツイ口調にならないように気をつけながら口を開いた。
「帰ったら、本当のこと、教えて」
注意深くなりすぎたためか言葉が途切れ途切れになったけど、真にはちゃんと伝わったらしく、大きく息を吸い込んだあと漏らすように息を吐きながら「わかった」と笑った。