以心伝心【完】
「こないだの彼氏?」
仕事からの帰り道、肩を叩かれ飛び上がりながら勢いよく振り向くと「びっくりさしてごめん」と苦笑する敦紀がおった。
「びっくりした・・」
「うん、ごめん。で、彼氏?」
まだバクバクする心臓を抑えながら、「そう」と答える。
昔から変わってないのは見た目だけじゃなく、強引さも変わってない。そういう所がいいって言う友達もおったけど、あたしはあまり好かんかった。
「8年の月日は長い、ってことを思い知ったわ」
意味がわからんくて、「え?」と返すと「色んな意味でな」と遠くの方を見ながら笑った。
確かに8年の月日は長い。敦紀の事も再会するまで完全に忘れてたくらい。
8年って日数で言えば何日になるんだろう。数えられないほど前の思い出なんか殆どない。
「月日は人を変えるって言うけど、ほんませやで。真が人前であんなんするような奴やと思わんかった」
「あんなん?」
敦紀の言う“あんなん”に身に覚えがありすぎて、最近の記憶を思い返しても、どれかわからへん。
こないだの事やったら、圭一を驚かそうとしたこと?腕に手を回したこと?それとも、あの路上キス?でもキスした時にはちゃんと周り確認したからしたことやし、それはない。
「忘れたん?」
地味に焦るあたしをお構い無しに話しつづける敦紀はニッコリ笑う。その笑顔に心拍数が上がる。
「真が人前で腕組むとかアンビリーバボーや」
俺とは手すら繋いでくれんかったのになー、と笑う敦紀にバレんように溜息吐いた。
よかった、キスじゃなかった。キスやったらどうしようかと思った。見られてたりしたら一生の恥や。
ドキドキする左胸を押さえながら「あぁ、うん」と答える。
「ところで家はどこなん?」
気が付けば5分以上話しながら歩いてる。最寄り駅が同じで方向が一緒ならわからんこともないけど、ここまで一緒やとさすがに。
「あぁ、俺あっこのマンションやねん」
敦紀が指差す方向を見ると、茶色いマンション。
あそこは知ってる。あたし達が同棲する為に新たに家を探した時に候補に入った賃貸マンション。でも2人でマンションとかいらんってなって賃貸ハイツになったけど。
いや、ほんまは家賃が高いってなって今のとこになったわけやけど。
「部屋も余ってるし、彼氏と喧嘩したらいつでも泊まりにおいでや」
ほな、と手を振って家の間を抜けていく。その先には公園があって、マンションへの抜け道なってるんやろう。あっちゅう間に見えんくなった。
結局、敦紀のペースに引きずられて終わった。いつも言うだけ言うて消える。
敦紀はあたしを“アンビリーバボー”って言うたけど、あたしは“8年の月日が経っても変わらん人間もおるもんや”と思った。こんなけ経っても変わらんってことは一生変わらんってことか。
「疲れた」
別れてからの疲労感も相変わらず健在してる。ただでさえ仕事で疲れてんのに更に疲れた。早く家に帰りたくて、家路を急いだ。
「ただいまー」
玄関には圭一の靴。また珍しくあたしよりも早い帰宅。
リビングからは美味しそうな匂い。疲れなんか忘れて自然に笑顔になる。
ヒールを脱いで、バッグを肩から下ろして「ただいま」とリビングに入る。
「?」
いつもは返ってくる「おかえり」が無い。
誰もいてへんのかと思ったけど、圭一はキッチンでこっちに背を向けて立って夕飯を作ってる。
聞こえへんかったんかな?って思って、バッグを置いてキッチンに近付き、もう一度「ただいま」と言ってみた。
「・・・」
無言、というか無反応?聞こえてるはずやねんけど、無視されてる感じ。
新手の嫌がらせなんかもしれん。嫌がらせでもなんでもいいけど、やっぱり「おかえり」は欲しい。
仕事から家に帰ってきたら「おかえり」って言うて迎えてほしい。だから、そーっと料理の邪魔にならんように近寄って、顔を覗いてみる。
「圭一」
無反応。というか、無視。
でも手はずっと動いてる。
「圭一?」
いや、いや、おかしい。
「どうしたん?」
名前呼んだのに、いっこも目合わせてくれへん。いつもやったら笑ってくれんのに。
・・・なんか腹立ってきた。なんでそんな態度を取られなあかんのかわからへん。
数秒、圭一を睨んで着替える為に部屋に入る。
意味わかれへん。仕事から帰ってきて、あんな態度取られる理由がわからん。
何にイライラしてんか知らんけど、「おかえり」の四文字くらい言うてくれてもいいのに。
家族と離れて一人暮らしした時は寂しかった。誰もおらん部屋に「ただいま」って言うても何も返ってこんくて、寂しかった。でも圭一とルームシェアし始めて、嫌いな相手でも「おかえり」って返ってきたら嬉しかった。それが当たり前になってた。
だから、今みたいなんは寂しい。その相手が圭一で尚更寂しい。
「圭一のあほ」
「誰が“あほ”だって?」
返ってくるはずない圭一の声に“ここ!?”ってゆうタイミングで返ってきた返事。いつの間におったんか、ドア開く音に気付かんかった。
「おかえり」
「た、だいま」
一度だけ目を合わせて、あたしの背後を通りベッドに座り、ふぅーと長い息を吐いた。
「真、おいで」
パタン、とクローゼットを閉めたタイミングで圭一があたしを招く。その声にクローゼットに向いたままのあたしは圭一の方を向く。開いた足の上に手の平を見せた両手が置いてある。
ずっと逸らさずにあたしを見てて、自然に引き寄せられる。ムカついてたはずやのに、そうやって“おいで”って言われたら忘れて素直に従ってしまう。
圭一の傍まで行くと、手が伸びてきて両手に触れる。スッと引き寄せられて距離が近くなる。
何があるんやろう、そう思ったら圭一の目が変わった。
「アツキ、って誰?」
「え?」
「アツキって誰」
あ、目がヤバい。
そう思ったら、ぐいっと引かれて唇がくっつく寸前で止められる。
「いっ、た」
左手首を掴む手が強くて、思わず顔をしかめる。左手はあたしの後頭部を支えてて、離れようとしてもびくともせん。
「真、アツキって誰?」
じっとあたしの目を見たまま問う瞳は全て知ってて聞いてる。
誰からって言うか、アヤちゃんしかおらんやろうけど、ごっちゃんから回ったんやろう。別に答えられへん相手でもないし、隠す事でもない。
「ちゃんと話すから離し、」
「すぐ言えない相手?」
「じゃなくて」
「ソイツ、誰?」
敦紀の強引さが行動力であれば、圭一の強引さは有無を言わさぬこの空気やろう。
はっきり言うて勝てる気がせん。というか、逆らえんこの威圧感。
「高校の時の元カレ、です」
です、を言い終えたくらい、それと同時くらいに圭一の眉が寄って、唇が触れた。いや、間違えた。触るってもんじゃなかった。
「~~~っ!」
余りの息苦しさに圭一の肩を叩くけど、離してくれるどころか目を開けたまんま苦しむあたしの顔を見てる。
もう無理――叩く力もなくなって身体の力を力を抜いたら、やっと離れた。
膝をベッドに付けて身体を支えてたけど、それすら出来んくて崩れるように座り込む。すると、両脇に圭一の手が入り、ふわっと浮いて、天井が見えた。
あたしを見下ろす圭一の無表情な顔。まさかの流れに動くことが出来んくて唖然としたまま。それをいいことに、圭一は言葉を続ける。
「アイツのどこに惚れた?」
あたしに覆いかぶさったまま、右手の親指で唇をなぞる。
「アイツにこんな表情見せた?」
唇から離れると、今度は人差し指が首筋から鎖骨までスーッと下りてゆく。自分の指を追ってた視線は不意に上げられて、あたしのと重なる。
それから言葉は無かった。
前回同様とはいかんけど、あたしをいつも以上に愛でた。あたしがどんなに止めても、圭一がやめてくれることなく、眠りに付けたのは空が明るくなってからやった。