以心伝心【完】

世間で言われる華金、いわゆる“華の金曜日”に定時で上がったあたしは買い出しついでに仕事帰りのごっちゃんと落ち合い、いつものカフェに寄った。

コーヒーも飲んで、いつも通り散々話して、そろそろ夕飯作らんと圭一も帰ってくるって頃。

「あんた、コレどうしたの?」

カタン、と席を立ったあたしの首筋を指差して問う。
目敏いごっちゃんの事やから隠し通せるとは思ってなかったけど、このタイミングで来たか。あとちょっとで帰れるって言うのに。

「えっと、アレルギー?」
「なんであたしに聞くの。てか、酷くない?」

自分で掻いた跡のような赤い斑点を見て、「痒いの?」と聞いてくれる。
言い訳に関しては、自分でキツイと思った。でもそれ以外に思い付かんかった。

ごっちゃんは大丈夫なの?と心配しながらブラウスから覗く“アレルギー”の症状を確かめるように襟元を開ける。
ヤバイ!そう思った時には遅かった。というか、口元が徐々に緩んでくのが見えて諦めた。

「それにしても、その数はないわ」

呆れたように首を横に振る仕草に溜息が出る。
そんなことあたしもわかってる。一週間ほど経ってるのにまだ完全に消えんキスマークに圭一の執拗な愛情が見えて、愛されてると言うてええんか、束縛されてると言うてええんか、なんとも言えん複雑な気持ちがある。

毎日のようにお風呂上がりのあたしの首元を見てニヤニヤする圭一も見飽きた。それでも初日よりは断然薄くなってる。完全に消えんキスマークに毎日溜息が出る。
なんぼほど濃いの付けたねん!と嫌でも思う。

会計を済ませて、ようやく帰れると歩きだしたとき「あっ」と言うごっちゃんにまだ何かあるんかと再び溜息が出る。

「なに、忘れもん?」

また戻んの?と呆れたように言うあたしに「違う」と肩を二、三度叩くと前を指差した。

「あれ、あんたの元カレくんでしょ?」

ごっちゃんが指す方を見ると、ビジネスバッグを持ったスーツ姿の男の人が数人あたし達の前を歩いてる。

「どれ?」

後ろから見たら、どれも同じような年代の人のように見えて、ごっちゃんの指を辿っていってもあたしにはわからへん。
ごっちゃんは「あんた元カレの後ろ姿がわかんないの!?」って怒るけど、んなもんわかるわけない。あたしが見てたのは8年前で、今はわかる必要もないし、あんな事されても、あたしは圭一さえわかれば他はいらん。

「あれよ、黒。あたし達の前を歩く手前から2番目の人」

ん?と眉をしかめて見るほどじゃなかった。数人のスーツ姿の中で黒は一人しかおらんかったから、おかげで探す手間は省けた。

「ふーん」
「ふーんって、何よ。興味ないの?」
「興味ないって、興味ないでしょうよ」
「なんで?」
「なんで?」
「普通、元カレの存在って気にならない?今の彼女はどんな子かな、とか気にならないの?」

そんなん気にしてどうすんの?って言いかけてやめた。言うたところで返ってくる言葉は決まってる。
ぶっちゃけた話、圭一の元カノの存在も対して気にならんこのあたしが敦紀の歴代彼女に興味湧くわけがない。
過去の恋愛を引きずってるなら未だしも今まで忘れてた相手のどうのこうのって、どうでもいい。

「あ、こっち見た」
「・・・」
「手、振ってる」
「・・・」
「え?こっち来た」

こっちに来たからって、あたしを見るな。あたしを見たって来る必要のない敦紀が踵を返すわけがない。あたしは小さく溜息吐いた。

「ねぇ、真ってば。こっち来たよ!」

あんたが大きな声で喋るからちゃうの?で、敦紀が来たからってあからさまに焦った声出すのやめて。
そう言えたらすっきりするやろうに、彼はもう目の前。

「また会うたね」

爽やかに笑顔で挨拶されたら笑い返すしかなくなることくらい予測出来たやろう。

「あ、うん、そうね」

片手を上げて挨拶するのは、ごっちゃん。あたしは無視。
どうせごっちゃんの声が聞こえたのをいいことに、こっちに来たに違いない。こういう狡い事が上手な敦紀やからタイミングを伺ってたに違いない。

「なんや、真。また会うたのに愛想ないなー」
「そりゃどうも」

あたしはあんたのせいで、えらいめにあったんやから!と言いたいけど、ただの恥さらしにしかならんから飲み込んだ。それでも歩む足は止まることなく家に近付いてくわけで、「あ、じゃあ、あたしこっちだから・・」と引き攣るような表情で、ごっちゃんが離れていったのは想定内。

「そうなん?ほな、またね」

何も知らん敦紀が爽やかに挨拶をするんも当然で、その流れを止めることが出来んのも当然で、逃げるように帰るごっちゃんを思いっきり睨んで、足を止めてた敦紀を無視して歩く速度を速めた。

「おい、俺は無視かい」

当然、追いつかれるのもわかってる。それでも前回の事があるから極力無視の方向で回避しようと思っても「おいコラ、無視すんな」と腕を引かれて止まらざるを得んくなるのも経験済み。

「あたし、彼氏おるって言うたやんな?」

だからあんまり話しかけてくんな、と少し睨んだけど、敦紀はきょとんとした顔。
そういえば、ちゃんと言葉にせんと理解出来ん男やった、と思い出した。これが昔も面倒やったのも一緒に思い出す。でも言い足す必要はなかった。

「だから、あんま話しかけてくんなって?」

ちょっとは成長したらしい、と思えたのは一瞬で、別に口説いてるわけちゃうねんから、ええやん」と、ニコリと笑って背中を軽く押されて歩くよう促される。

違う、そういう意味じゃない!ちゃんと意味を汲んで!
そんな心の思いが届くはずなく、前回別れた道を通り過ぎても、敦紀はあたしの横を歩いたまま。さすがに不審に思い、「どこまで付いてくんの」と聞けば、「ん?俺、今日はこっちに用事あんねん」と軽くかわされた。

「なぁ、真って一人暮らし?」
「なんで?」
「いや、ただ聞いてるだけやん。一人暮らし?」
「違う」
「まぁ、何でもええねんけど」

否定したのに何でもいいってどうなん。つか、なんで聞いたん。何でもええなら聞くな、と脳内でぶつぶつ言うてたら、気付けばハイツの前。
一瞬、家は知られたくない!そう思ったけど、このまま歩き続けて撒くよりも、早く敦紀の隣から離れたいってゆう感情の方が勝った。

「じゃあ」

敦紀の顔も見ず、道路を渡ってハイツに向かうと背後から「え、ここなん?」と言う声が聞こえる。それも無視して階段を上がる。

「結構、新しいねんなー」
「・・・」
「外装も洒落てるやん。真が好きそうや」

―――カン、カン、カン
あたしのヒールの音が響く。

「見た目によらず、階段はちゃっちぃな」

―――カン、カン、カン
「なんや一人暮らしにしたら、えらいひろ、」
「どこまでついて来る気?」

カチャリ、と差し込んだ鍵を回し玄関の鍵を開けて、抜くのと同時に聞いた。
自分の足音に続く足音に気付いてなかったわけじゃない。他の住人の方かな?って思うほど、あたしもアホじゃない。

「だって、どんなんか見たいやん」

その言葉を聞いて振り返った先に見えるのは満面の笑みの敦紀。今日一番深い溜息を嫌みのように吐いて、睨む。

「見せるもんなんか何もない」
「そう遠慮すんなよ」

ガチャリ――――ドアを背後にしてたあたしの腕を押して玄関の取っ手を掴むと「ちょっと!」と言い切る間もなく、勝手に中に入っていく。

「殺される・・・」

先日の恐怖を思い出し、身震いするあたしは部屋に入る前にバッグの中から携帯を取り出し、メール作成画面を開く。電話帳からもう一人の住人を出し、本文を作成する。

『なるべく早く帰ってきて下さい』
帰宅後の恐怖に震えながら送信ボタンを押す。

ほんまは“今すぐ”帰ってきてほしい。帰ってきて、敦紀を追い出してほしい。でも、帰ってきた圭一の顔を見るのが怖い。

ここまで来る間に撒く時間はあった。どうやってでも断ることは出来た。断固拒否することも出来た。それをせずに鍵まで開けてしまった。
怒られることは目に見えてるし、それが当たり前やと思う。

「何してんねんな?」

自宅なのに入らず外で携帯を握りしめて、うんうん唸るあたしを怪訝そうに見に出てきた敦紀にまた溜息。

どうか平和でありますように―――遠慮なくソファーに座り、テレビまで付けてくつろぐ敦紀の姿を見ながら切実に思った。



~真side 完~
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