以心伝心【完】

―――大丈夫だ。元のあたし達に戻れる。
今のやり取りでそう思えることが出来た。

文也が動かなかったのもあたしの気持ちに気付いたからだと思う。これでやっと終わりに出来る。文也はあたしに縛られずに自由に恋愛が出来るし、あたしも―――文也以外の人を好きになるかもしれない。
ふっ切れた、というより、区切りを付けることが出来た。

昔のように戻ることは出来なくても、世間並みの幼なじみには戻れる気がする。だって、文也の目を見て笑いかけることが出来る。それだけで充分で、上等だ。

「さて、あたしは帰るよ」

早朝といえども、まだ外は暗い。寝るなら朝日が出て明るくなる前に寝たい。明日は休みだし、ゆっくり昼前までは寝れる。

手に持ったままのバッグを持ち直す。返事が返ってこなくて文也を見た。

「どうしたの」

今日何度目かの真剣な表情。だけど、この表情から言葉が出たことはない。小さく溜息吐いて「じゃあね」とドアノブに手を掛けてドアを開けたとき、

「俺が言った返事が済んでない」

ベッドから立ち上がって、あたしの背後からドアを閉めた。

あたしの顔の右横には人差し指にリングが嵌められた手が置かれてる。左手首が掴まれると、あっという間に背中にドア。目の前に文也、と向かい合う体勢に変わる。

「ちょ、っと」
「返事、どうなの?」

170センチもなくて、圭一くんと並べば可愛く見えるはずの文也。こうして至近距離にいると、大きな手、広い肩幅、香水の匂い、普段見せない“男”を感じさせられて思わず俯いた。
両手で胸を押して離れることも出来る。でも、脳が“触れてはいけない”と反応するから出来なかった。

「なぁ、返事」
「返事って、なに」

間近で聞こえる文也の声に心臓がバクバクする。
見えないからだと思う。見えないから、目の前にいる文也を意識してしまう。声を発するのも吃ってしまうくらい。

「つか、こっち見ろ」

顎に文也が触れて、俯いた顔を持ち上げる。至近距離で見た文也は眉間にシワを寄せていて、どうしてか怒った表情。
あたしと目が合うと「こっちこい」とバッグをあたしの手から奪うと下に置いて、あたしの手を引いてベッドに向かう。文也の定位置に座らされて、向かい合うようにフローリングに文也が座る。

うなだれるように俯いてしまった文也はあたしの両手を握る。
正座をしてる文也を見下ろすあたしは何を言われるんだろうとバクバクする心臓を必死に抑えながら文也の言葉を待つ。
文也は俯いたまま大きく息を吸い込んで深く吐いた。

あたしの手を握る手にキュッと力が篭る。そんな文也にさっきのドキドキなんて吹っ飛んで逆に心配になる。
眠いんじゃないか、具合悪いんじゃないか、――そう思えるくらい文也のまとう雰囲気が違う。「大丈夫?」と聞けば、ゆっくり顔を上げて「あぁ」と苦笑した。

「お前も、こんな気持ちだったのか」

ありえねぇ、と呟く文也は再度長い息を吐いて、「つぅかな」と半ば逆ギレ口調で話し出した。

「お前があんなこと言うから悪いんだよ」

ありきたりな台詞に「なにが」としか返せない。

「俺だって本気で惚れた女くらいいる」
「・・・」
「ありえねぇくらい嫉妬に狂ったこともある」
「・・・」
「他の男見てても、まだ好きで」
「・・・」
「どうしようもねぇくらい好きだった女は何人もいるんだよ」
「ねぇ」
「でも、どれも長く続かないんだよ」
「あのさ」
「なんだよ」
「何の話をしてるのか、よくわかんないんだけど」

聞いてりゃ自慢話かよ、とツッコミたくなるような内容でイライラする。それをわざわざあたしに言って、どうすんだって話。
遮ったあたしの言葉にムカついたのか、小さく舌打ちしたのが聞こえた。掴まえてたあたしの手を離してタバコに手を伸ばそうとして止めた。

「タバコ吸っていいけど」
「・・・別に、吸いたくねぇし」

小学生か、と思わず言いそうになる。
あたしは文也の過去の恋愛遍歴を聞くために、この部屋に来たわけじゃない。文也に連れられて来ただけで、そもそもここに用事はない。
文也だって、こんな話をするならあたし以外でもいいだろうし、どうしてこの時間とタイミングを選んだのかわからない。
睡眠不足で脳が誤作動起こしてるに違いない。

「お前、マジなんだな」

俺マジでヤバイ、と結局タバコに手を伸ばし火を付けた。
煙はあたしに当たらないように吐き出される。2回ほど吸って灰皿に押し付けると、さっきと同じようにあたしの手を取って、「圭ちゃん尊敬する」と笑った。意味がわからないあたしは首を傾げる。

「なぁ」
「なに?」

文也は眉を下げて笑う顔をあたしに向けて問う。

「俺がどうして彼女と長続きしないか、お前わかる?」

即答で「わからない」と言うと、「考えろよ」と呆れたように言う。だって、わからないものはわからない。

文也の歴代彼女の誰が本気の相手だったかなんて数が多すぎて見当もつかない。それに、ようやく文也への気持ちに区切り付けたあたしに、そんな話をするなんて無神経も甚だしい。
わかってやってんのか、どうかわからないけど、そんな話は聞きたくない。出来ることなら、もう少し時間がほしいのに。

「ま、お前はわかんないか」

好きな男しか見えてなかったもんな、と笑う。

「どういう意味よ」
「いや、お前らしいって事だよ」

むぅ、と唇をへの字にしたあたしに「でもな」と文也は続けた。

「俺は違うんだよ。他の女が気になって、しょうがねぇ」
「それは‘新規保存’だからよ」

あたしの言葉に「はぁ?」と怪訝そうに言う。

「女は‘上書き保存’で過去の恋愛を消すけど、男は‘新規保存’で、いつでも思い出せるようにしておくじゃん」
「そういうことじゃない」

あたしの言葉を遮って盛大な溜息吐いた文也は手を離して両手で髪をがしがし掻く。切羽詰まったときの文也の癖だ。何に追い詰められてんのかわからないけど、「お前、ありえねぇ」と言われたのはムカついた。

「意味わかんない」
「だぁから!俺が言いたいのは」
「なに」
「・・・」
「なんなの」

文也は小さく舌打ちして、短く息を吐き出した。

「無意識に比べてんだよ」
「は?」
「自分の彼女なのに無意識に彼女とお前を比べて、“なんか違う”って別れて。次の彼女も同じ理由で別れて。最終的には、お前みたいな女を探してる自分に気付いて、本気で焦った」

文也の言ってる意味が理解出来ない。

あたしと比べるって、なに?あたしみたいな女って、なに?文也の中のあたしは一体どういう存在で、どうしてその対象になったの?数多くいる彼女達の中で、どうして幼なじみのあたしがその対象にされるの?

意味がわからない。考えようとしても、うまく考えられない。
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