湯けむり恋奇譚
「どうして」
「見てこれ。今朝顔を洗ったときに鏡を見て気づいたんだけど、傷ができてた。どうしてくれるの?」
そう言って、彼は自分の頬を指さした。
そこには、由香が昨夜投げた桶でつけたらしい傷があった。
それは猫がちょっと引っ掻いたようなもので、男の彼なら問題ない程度の傷だと思う。
けれど……この人の肌ときたら、素晴らしいくらい綺麗で美しかった。
ゆでたまごのような、とにかくぷるぷるのつやつやで、女の由香がうらやましくなるほどの美肌の持ち主。
その肌に傷をつけてしまったことに少し罪悪感を覚えて、由香は黙り込んでしまった。
黙り込んだ由香に、すかさず彼は甘い言葉を投げ込んできた。
「素敵なところ、たくさん知ってるよ。きっと楽しめると思う。だから、ね」
素敵なところ。
その言葉に由香は耳をぴくりと動かした。
確かにこの人はけっこう使えそう。
観光に来たわけではないけれど、めったに訪れない温泉郷の素敵な場所や美味しいものを教えてくれそうな気がする。
(利用できるものは利用すべき、そうでしょ、わたし?)