湯けむり恋奇譚
「おはよう」
「……」
旅館を出ると、昨日の彼が庭先で待っていて、由香は顔をひきつらせた。
何で待ってるの?
無視して通り過ぎようとすると、彼は由香の手首を掴んできた。
直に体に触れられて、少し心臓が跳ねた。
おまけに彼が無遠慮に由香の顔を覗き込んでくるから、ついっと顔を逸らした。
「今日はどこへ行くつもり?」
「別に。あなたに言う必要はないと思います」
「もしかして行くところは決まってない?」
なんでわかるの?
確かに由香は、これからどこへ行くかは決めてない。
行き当たりばったりで、とりあえずその日をしのげればいいと思っていた。
そんな由香に、彼は妙な提案をした。
「よかったら、俺と一緒に行きませんか」
行くってどこに。
「わたしはあなたに会いたくないと思っていたんです。それなのに、どうしてあなたと一緒に行動しなくちゃいけないの?」
「俺、この辺詳しいから案内したいと思って。それに」
彼はにこりと笑った。
「君は俺の頼みを聞くべきだと思うな」