魔法をかけて、僕のシークレット・リリー
目を閉じかけた時、耳をつんざくような呼び声が届く。
聞こえた方に視線を向ければ、たったいま「来ない」と自分の中で判断を下した彼女が、こちらへ駆けてくるところだった。
「お待たせして、申し訳、ございません……!」
僕の目の前で立ち止まった彼女が、膝に手をついて肩で呼吸をする。相当走ったのだろう。額にじんわりと汗が浮かんでいた。
「草下さんが――草下が熱を出しまして、代わりに葵様のお相手をしていたら、こんな時間に……」
懸命に説明していた彼女だったが、「いえ、言い訳はよくないですね」と首を振り、再度頭を下げる。
「本当に申し訳ありませんでした。蓮様をお待たせするなんて、」
「もういいから」
半ば強引に彼女の肩を掴んで顔を上げさせた。その顔があまりにも必死で、気が抜けてしまう。
自身の胸ポケットからポケットチーフを取り出し、彼女の汗をそっと拭った。
「れ、蓮様!? いけません! 汚れてしまいますから……!」
「ちょっと静かにして」
妙に安心している自分がいた。何らいつもと変わらない。僕のところに真っ直ぐに向かってくる、健気で忠実な執事。
でも、これは命令じゃない。彼女の意志で走って、ここまでやって来た。それが柄にもなく嬉しくて仕方なかった。
「ねえ。何で君、スーツなの?」