祓魔師陛下と銀髪紫眼の娘―甘く飼い慣らされる日々の先に―
「リラさまっ!」

 今にも泣き出しそうなフィーネの顔が飛び込んできた。その後ろには闇の濃さを徐々に増して夜が迫ってきている。リラは目をしぱしぱさせるながら鈍くなっている思考を取り戻そうと必死だった。

 自分は誰で、ここはどこなのか。

「どこか痛みますか?」

 聞き覚えのある声は男性のもので、そちらにゆっくりと顔を向けると、モノクルの中の瞳が心配そうにこちらを見ていた。ヴィルヘルムの側近であるエルマーだ。

「ここは……」

「覚えてませんか? 例の歩く死者のことを調べるためにここに来たと聞いてます。たまたま広間の様子を僕が見に来ていたので」

 リラが気を失って倒れたあと、フィーネは取り乱しながらも、誰か呼ぼうと階下に急いだ。そこに準備の進捗状況を確認しに来ていたエルマーと鉢合わせしたらしい。

 リラは再度、瞬きをしてから弾かれるように身を起こした。が、目眩を起こして倒れそうになるのをフィーネがとっさに支える。

「リラさま」

 涙混じりの声でリラの肩に触れている手が震えている。そして、エルマーが自分の上着を脱いでリラに掛けた。

「とにかく移動しましょう。ここは冷える。あなたになにかあったら、陛下がなんて言うか」

 フィーネに支えながら立ち上がり、リラは意を決したようにエルマーの手を取った。突然の行動に、エルマーは驚いてリラを振り返る。

「あの、お願いがあるんです。私にダンスを教えていただけませんか?」

 さらにその口から出たのは突拍子もない発言で、おかげでエルマーとフィーネは目を丸くして、お互いに顔を見合わせた。

 リラの表情は真剣そのものだ。身震いするような風が吹きぬける。残念ながら、今日は月が出ていない。赤に染まっていた世界は、すっかり黒が支配していた。
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