高貴なる社長のストレートすぎる恋愛に辟易しています。
雨で湿気たすべりやすくなっているタイルの上に尻餅をついてしまった。

どこみて歩いてんだよ、ボケ!

だからお前は『かたつむり』なんだよ!

という声が頭のなかでする。こういった予習は子供のころから習得し、慣れている。

だから今回も予想通りの展開が待っているはずだ。

目をつぶり、非常事態に構えていると、

「大丈夫ですか!」

低く響く甘い声がわたしの頭の上からやさしく降ってくる。

目を開け、顔をあげると、目の前に立っているのは、わたしよりもすらっとした背の高い男性だった。

薄い生地のグレーのジャケットに、ノーネクタイに黒いボタンをあしらった白いボタンダウンのシャツ。

黒いパンツと同色の革靴に、手には茶色の高級そうな手提げカバンを持っている。

黒髪にサイドと襟足は刈り上げられ、右へと流した少し長い前髪。

精錬とした顔に茶色く細いふちどりのメガネが映えている。

すらりとした体型なのに、大きな右手をわたしにさしのべてくれた。

「ごめんなさい」

緊張しながら右手を差し出すと、大きな手に包み込まれるようにわたしの手をとり、立ち上がらせてくれた。

「怪我はしなかった?」

「は、はい」

ちょっとお尻と足首が痛い気がするけれど、男性の心配そうにみる視線に痛みが和らいでいくような気がした。

「本当にごめん。あ、そうだ、これを渡すよ。何か不都合なことがあったら連絡して」

と、ジャケットから名刺入れを取り出し、名刺を渡してくれた。

左手の時計を気にしていたので、

「大丈夫ですから」

と、念を入れてこたえたら、軽く会釈し、わたしの元へと去ろうとしたとき、ジャケットの裾が破けてしまっているのに気がついた。

もしかして、転んだはずみで傘の柄か何かでジャケットの裾をひっかいてしまったとか。

「あ、あの、ジャケット」

「これ? ああ、もういいんだよ。それじゃ」

男性はすぐに来たエレベーターに飛び乗っていってしまった。

あんなかっこいい人がいるんだと思いながら、エレベーターのボタンを押した。
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