あなたに捧げる不機嫌な口付け
「あ、そうだ。さっきはごめん」

「ん?」


何のこと、とでも言うような顔に苦笑する。


本当に諏訪さんはそういうところ緩いというか。


「呼び捨てにしちゃったでしょ」


私なら、いきなり呼び捨てにされたら「どうしたの」くらい言うけどな。


少なくとも、満面の笑みで甘ったるく避難はできない。


大らかというか、軽いというか。適当というか。


さすが諏訪さん。


「大方あれだろ、手っ取り早く仲よく見せたかったんだろ。おー、名前覚えててくれたんだとは思ったけど」


まあ気にすることない、と朗らかに笑う諏訪さんに、なぜか言い訳をしなければならない焦燥に駆られた。


「……最初に自己紹介したから」


別に、覚えていたのは何となく。


そう伝えようとしたら、狙ったわけではないのに、奇しくもあの日のこの人と同じ言葉になった。


『最初に自己紹介しただろ。聞いたのは確認のためだよ』


「祐里恵らしいねえ」

「そう?」


この人はそんなことはもう忘れたのだろう。

先に言ったのは諏訪さんなんだから、どちらかといえば諏訪さんらしいのだ。


私は逐一覚えているけど、諏訪さんは忘れたのだろうか。


少なくとも、同じ理由を言ったのなんて、へらりと足を進めるくらいには何でもないことだったに違いない。


少し胸がざわついた。
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