素直の向こうがわ【after story】



とりあえず、なんとか納得させて店を出た。

そしてそこからすぐ近くの文子の家まで送り届ける。
夜の九時の住宅街はあまり物音もしない。

そう言えば、結局この日は雨が降らなかった。

静寂が流れる中で、何かを考え込んでいるように黙ったままの文子をそっと見やる。


「せっかく二人の時間作ってくれたのに、なんかごめん。ほんと、私って黙ってられないんだよね。徹が怪しいとかじゃ全然ないの。ただ不安な気持ちぶつけちゃっただけ」


すると、隣を歩く文子がぼそっと零した。
溜息のように吐かれた言葉。

少し俯く横顔が寂し気に見えた。
その表情が俺の胸を疼かせる。


この日一度も文子に触れていない。

俺の忍耐も限界に来ていた。


家の前まで来て、文子が言葉を発する前にその手を俺の方に引き寄せた。


「今日、一人?」


自分の声があまりに掠れていて、自分の余裕のなさに恥ずかしくなる。

文子は俺を見上げて、目をぱちくりとさせた後顔を真っ赤にして頷いた。


「……少し、寄ってもいいか?」

「……うん」


文子は、俯いて鍵を開ける。
その時間がもどかしい。

ただ鍵を差し込み回すだけの時間が、果てしないものに感じられる。
綺麗な髪が流れる背中は目の前にあるというのに、今はまだ触れられない。

ドアを開けると、薄暗い空間に外からの明かりが差し込んだ。
そしてドアを閉じるとその一筋の光が一瞬にして消えた。
その瞬間にもうその唇を塞いでいた。

こんなにも余裕がなくなるのも、
早く欲しくて焦燥感にかられるのも、
全部おまえだけ。

俺の分厚い理性の皮を引っ剥がすのもおまえだけなんだ。

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