素直の向こうがわ【after story】


「離して!」


力いっぱい腕を振り上げたけれど、その男の手が離れることはなかった。
そして、よりにもよって、より私の方へと身体を近付けて来た。


「ここで帰っちゃうと、お友達、困っちゃうよ?」


囁くように意味深なことを言って来る。


「どういう意味ですか?」

「君を連れて来てもらう約束で、代わりにあいつをこの場に呼んでるの」


私が思いっきり身体を反らせて睨み上げると、その男がちらりと由紀ちゃんの方に視線をやる。
その視線の方を見れば、由紀ちゃんの隣には同じように大学生っぽい男が座っていた。由紀ちゃんは不安そうにこちらを見ている。


「あいつ、タクヤっていうんだけどね、由紀は今タクヤにご執心でさ。タクヤは俺の友達だから、俺に仲介を頼んでいるわけ。でも、タクヤはあんまり女の子に興味ないから結構大変なの。俺にも特にメリットないし。でも、君を連れて来てくれるなら、俺も頑張ってタクヤ連れてくってことになってさ」


まるで親密な話でもしているかのように耳元に口を寄せて来た。

なに、それ――。

聞けば聞くほどに怒りが湧く。


「私には、関係ない――っ」


それでも振り払おうとしたら、そのまま腕を引っ張られて、そのタクヤという男の隣に座らされた。


「ごめん、文子。今日だけ、今日だけだからお願い。私たちに付き合って」


懇願するように私をじっと由紀ちゃんが見つめて来る。
事情を知っているのかいないのか、隣に座るタクヤが無関心そうにグラスに口を付けていた。

気付けばタクヤと反対側の私の隣に、ぴったりとさっきの男が座っている。


「文子ちゃん、何飲む?」


私の意思なんて、何の意味もないことかのように気持ち悪いほどの笑顔を私に向けた。

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