素直の向こうがわ【after story】
「だから、どうしてそう帰ろうとするかな」
私に回り込み行く手を阻む。
先ほどより低くなった声。
その声に思わず背筋が冷たくなる。
「私がここにいる義務なんてない。私はあんたと遊ぶつもりもない。だからあんたがこんなことしたって意味ないの。じゃあ」
フジナミケントを押しのけて、ドアを乱暴に開けた。
そして、全速力で走った。
「待てよ」
背後で声がするけれど振り返りたくなかった。
ただ前を見てここから少しでも離れたかった。
本当に、サイアク。
由紀ちゃんにも自分にも苛立ちが収まらない。
店を出ると、急に街の雑踏が耳に入る。
ここは都内有数の繁華街。
行き交う人も、街の雑音もそこかしこにある。
駅も近い。
私は人ごみをかき分け駅へと向かう。
少し心配になって後ろをそっと振り返ったけれど、あの男がつけてくる様子はなかった。
そのことにホッとして走るのをやめた。
それなのに、いつの間に私の背後にいたのか、
もう少しで駅だというところで、腕を掴まれた。
「そう簡単には逃がさないって。君とこうやって会えるまでにどれだけかかったと思ってんの」
悲鳴さえ出なかった。
掴まれた腕が痛くて、私を見下ろすその目に怯える。
どうして、女に不自由することなんてなさそうなこの男が私みたいな女にこんなことをするのか。
自分の何がいけなかったのか全然分からなくて、恐怖と混乱で身動きがとれなくなった。
――徹!
咄嗟に心の中で彼の名前を叫んでいた。
そうしたら――。
私の徹に会いたいという気持ちが通じたのだろうか。
いるはずのない徹が視界の先にいた。
駅から出て来る、背が高くて眼鏡をかけた人。
まだ自分は運から見放されてはいなかったのだと、深い安堵に包まれる。
「とお――」
名前を呼ぼうとして、私は息を止めた。
私の視界に入って来たのが徹だけではなかったからだ。