素直の向こうがわ【after story】
夏に一度だけ遠出をした。
「夏休みくらいは、どこか行こうか」
俺がそう提案しても、松本はなかなか「うん」とは言わなかった。
「いいよ、私のことは気にしないで。別にどこに行けなくても河野に会える日があればそれで十分だから」
一日くらいは許されるだろう。
俺の模試の成績も安定していた。
それに、俺だって松本と一日くらいはずっと一緒にいたい。
「おまえの誕生日だから、特別。その先はもうそんなことしない」
俺がそう言ったら、松本はぼそぼそと呟いた。
「……じゃあ、江の島の海に行きたい」
「え? なんで?」
「……私が河野のこと好きになった場所だから……」
俯き加減でそんなことを言われて、俺は絶句する。
あの遠足の日のことを言っているのか。
あの時のことを思い出して、少し表情が緩む。
今思うと、懐かしい。
あの時はまだ、本当の松本のことを知らないでいた。
二人で朝から江の島に行った。
江ノ電にも乗って、二人で思い出話をして笑い合う。
あの大雨の降る中松本を見つけ出した七里ヶ浜。
その砂浜で二人で並んで座り、暮れていく太陽を見た。
海から吹いて来る風が松本の少し伸びた髪を優しく揺らす。
「今日は、ありがとう。凄く楽しかった」
優しく微笑む松本にオレンジ色の陽がさす。