素直の向こうがわ【after story】
「確かに、かなりの品揃えだよ」
「河野君、行ったことあるの?」
「うん。何度かね」
そう答えると、何かを考えている表情を見せた後、その顔を俺に向けた。
「わ、私、今日が初めてで。どの辺にあるのか教えてもらえる?」
その表情が、なんだかとんでもなく大変なことをお願いしているかのような悲壮さを漂わせていることに驚いた。
「ああ、別に構わないよ」
それくらいのことは友人なら当然のこと。
でも、頭に浮かぶ文子の顔。
案内だけして、今日のところは俺は帰ろう。
別に急ぎの探し物があるわけでもないし。
たとえ文子の知らないところでだとしても、必要以上に他の女と二人だけで一緒にいるのは避けたいと思った。
そんなことを文子からお願いされたわけではないけど、なんとなく自分がそうしたいのだ。
文子の傍にいる時に少しの後ろめたさも感じたくない。
少しの不安も与えたくない。
こんなことが意味があることなのかは分からないけど、恋愛事に疎い俺にはこんなことしか思いつかない。
その大型書店は駅から五分ほど歩けばたどり着く。
そこまで彼女を連れて行った。
「ここ。確か五階が医学書関係があると思うよ。じゃあ、俺はここで。また明日」
俺がそう言って背を向けようとすると、小さく呼び止める声がした。
「あ、あの、わざわざありがとう。助かった」
「別にそんな大したことじゃないし。じゃあ」
――ただそれだけのこと。
そんなわずか五分程度の出来事をわざわざ口にして報告する価値があるだろうか。
報告することの利益より言わないことの利益の方が大きい気がした。
でも、この俺の判断が文を苦しめることになるなんて、考えてもいなかった