騎士団長殿下の愛した花
フェリチタの耳に遠く自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
酷く聞き覚えのあるよく通る耳触りのいい声。フェリチタを安心させる声。ただ、声の高さが違う。まるで幼い少年の声のようで──
「……レイ?」
囁いた瞬間、とぷん、と彼女の意識が沈んだ。
「──フェリチタ!」
幾度か目を瞬かせる。ぼやけていたピントが合う。
淡い色の壁紙が貼られた初めて見る部屋。それなのに正確な位置がわかる。今自分が居るのはクリンベリル城の1階、裏門側の1番角の部屋だ。聖女の自分に誂えられた部屋。
(ああ、これは……私の、記憶)
手のひらを見る。指が短く小さい、柔らかそうな幼い手。
少しずつ自分の意識が溶けて、10年前の──9歳の自分と重なっていく。
心の奥に刻まれた感情も。
「ちょっと、抜け出さない?今日は僕の誕生祭なんだ。屋台もいっぱいあって楽しいよ!」
悪戯っぽく笑うその顔は酷く見覚えがある。陽を照り返して煌めく金色の髪も魅惑的に輝く瞳も変わりなく、しかし今よりもふっくらとした頬と幾分か縮んだ背丈。
この子は、小さい頃のレイだ。
──暗転。
「ここのパイ、すっごく美味しいんだよ。またこっそり連れてきてあげるから」
屑を口の端につけながら満面の笑みを浮かべるレイ。
──暗転。
少年と手を繋いでいる。口を開く。
「……夜だから帰らなきゃ。怒られちゃうし危ないよ」
頬を膨らませ不貞腐れた顔をするレイ。
「じゃあ、僕が、もっともっと強くなって、フェリチタを守れるようになったら」
「うん?」
「約束だ、2人で花火を見に来よう」