騎士団長殿下の愛した花
背後から慌てたようにアルルが駆け寄ってくる気配がする。
「聖女様、申し訳ありません。手が滑ってしまいました」
全く申し訳なさそうではない声色で以て、地につきそうな程頭を下げる青年の背を、フェリチタはぼうっと見つめていた。
「ヤーノ……」
(手なんて滑る訳が……まさか……私のために?)
「すぐに代わりの贄を捕まえてくるのです!」
バルコニーから喚くアルルと、四方の森に走っていく獣たち。
どうすればいいのか分からずただ立ち尽くすフェリチタの耳朶を、カァンカァンカァン!というけたたましい警報音が叩いた。
「人間がポイントを通過!繰り返す、人間接近!」
アルルがチッと大きく舌打ちをした。
「どうして今日に限ってこんなに早いのか……すぐに出撃の準備を!『奇跡』が無くとも我々が人間に遅れを取ることなどありません!聖女様が、神がいらっしゃる!」
鬨の声を上げた戦士たちが今度は皆厩舎(きゅうしゃ)へ猛然と走り去っていくのを見て、アルルも飛び出していく。
取り敢えず今は不問ということになったようだ。頭を下げたままのヤーノにおずおずと歩み寄る。
「……ヤーノ、私たちも行こう」
地に瞳を向けたまま、森人の青年は小さく呟く。
「お前は、本当にそれで……いや、」
何でもない、と立ち上がってもヤーノはフェリチタの方を向いてくれはしなかったけれど。
顔が見えなくても、彼の黄色い瞳は昏く輝いているのだろうと何となく思った。