騎士団長殿下の愛した花

遂に僅かに足元が崩れたその瞬間、唐突に、ぱあああっと目も開けていられないほどの明るい光が目を灼いた。光源は自分のすぐそば、己の左手。あまりの眩しさに驚いて大きく後ろに尻餅をつく。

「な、なに……?」

握っていた髪束が、見る間に光の粒子に変わっていく。フェリチタの指から溢れてきらきらと舞い踊るそれは、まるで風に巻きあがる白い花弁のようで思わず見惚れた。

光の花弁は宙に吸い込まれて消える。呆然と見守る少女の目の前で、突然空が曇り始めた。目視できるほどの速さで見る間に雲に覆われ、そして───

「!」

ぴちゃっ、と頬に水滴が落ちてきた。

気のせいかとフェリチタが頬に触れたところでまた1粒、そしてまた1粒。

次の雫が空から降ってくる感覚が短くなり、そのうちあっという間に大雨になった。

「いったい、なにが……」

起こっているの、と呟いたフェリチタの口に雨粒が滑り込む。反射的に顔を顰めて、次の瞬間目を見開いた。

「……あま……い?」

その味は、フェリチタのよく知ったものだった。記憶改竄の薬が混ざっていたあの水の味。

(もしかして、この雨は……)

フェリチタはのろのろと緩慢な動きで腰をあげると、覚束無い足取りで丘を下り、戦場をゆっくりと歩き始めた。

血と泥に塗れた戦士達がそこら中に立っている。しかし彼らは誰一人として剣を構えてはいなかった。どこか釈然としないような表情を浮かべながら、森人と人間は足早にお互いの陣営へと引き上げていく。

「ちょっと、そこの!」

声をかけられびくりと肩をそびやかす。腰を探るが、そういえば剣は髪を切った後投げ捨ててしまっていた。

振り返ると肩に三頭犬の復讐の団章が付いていたので、ひとまずほっと息をつく。よく見ると見たことのある顔だった。おそらく城で出会ったことがある騎士だ。
< 138 / 165 >

この作品をシェア

pagetop