騎士団長殿下の愛した花
「あの、良ければ……」
陣営まで連れて行ってくれませんか。そう続けるつもりだったのだが、彼は不信感を顕にぎゅっと眉に皺を寄せてフェリチタを叱責した。
「こんな所にどうしているんだ?町娘が来ていいような所じゃないぞ!ついさっきまで戦場だったんだからな!ほら仕方ないな、安全なところまで連れて行ってやろう」
「え……?」
自分の姿を見下ろす。確かに動きやすさを重視した簡素な服装だし薄汚れているだろうし、髪もばっさりと切ってしまったが、そんなに初対面のような対応をされる謂れは───
「……っ、まさか……」
(この雨、あの味、もしかして。この雨を浴びている人達は……私のことを忘れてしまったの?母様、いやアルルが川に流した薬の、記憶を偽る効果そのもの……)
この人は『さっきまで戦場だった』と言った。という事は、戦う理由が無くなったから幕引きとなったのだろう。そして戦士や騎士達の、あの不思議そうな表情。
この忘却の雨を理論的に考えることは出来なくもないかもしれない。急激に起こった上昇気流が、この国の広い川の水で雲を作った。だからその雲から降った雨には、あの薬の効果があった……とか。
でも、あまりに天候の変化が急過ぎるような気がするし。それこそ、神様の力でもなければ……あるいは、やはり奇跡という他あるまい。
はっとして自分の手を見つめた。雨に濡れてもまだ指に残った光の残滓が僅かに輝いている。まるでこれで対価は貰ったぞ、とでも言うように。