スターチス

「未央ちゃん、タクシー来たよ」

マスターが声をかけてくれて、思い出に浸る空気は弾けるようにして消えた。

思い出は思い出、私たちが付き合っていたのは5年も前の高校生の時の話。
過去は過去。
今じゃないし、今こうして話していても思い出話しか出てこないのは私たちが大人になったから。

寝ている栞を起こして、無理矢理体を起こす。
顔を引っ張って遊びながら栞を起こそうとすると「ちゃんと起こしてやれよ」と葉介が笑う。

「いいの。私を放って寝ちゃう罰だから」

少し意識を取り戻した栞を支えながら靴を履かせる為に個室の入口に向かうと葉介が襖を開けてくれる。

先に靴を履き、栞に靴を履かせて立たせる。
本当毎度介抱っていうより介護をさせられてる気分になる。

お会計も済ませて店を出ると栞を支えるのに葉介も手伝ってくれて、タクシーに乗せるのも手伝ってくれた。

「ありがとう。ごめんね」
「いや、いい」

俯きながら話す葉介に思うことは色々あったけど、「じゃあね」と言ってタクシーに乗り込もうとした。

「未央」

それを止められて、一度タクシーのドアを閉めると私と向かい合い、真剣な顔をした。

「どうしたの」

びっくりするしかない私は腕を掴まれたまま。

「俺の我が儘でごめん。でも今は未央を帰らせたくないと思ってる」

予想外の言葉に愕然とする私。
掴まれた手もそのままで何も反応が出来なかった。
何の反応も示さない私を掴む手は強くなり、それでようやく心がドクリと反応した。
息も止まるほど大きく動いたのがわかった。

「未央が俺を“葉ちゃん”って呼んでくれて心臓止まるかと思った」

そしてそのまま抱きしめられ、一瞬で離れた。

「また連絡する」

手も離れて完全に離れた私たち。
きっと互いにドキドキしていて目も合わせられない。

後部座席のドアを開けた葉介はあたしの背中に軽く触れて中へ促す。
ドアが閉まると合わさった視線。

葉介が優しく笑ってくれた。
動き出すと軽く手を上げて見送ってくれて、サイドミラーから葉介がずっとタクシーを見ていたのが見えた。

『どうしよう…』

心の中ではそれの連呼で、一人でパニックになってた。
葉介に抱きしめられて、あの時の想いが蘇り、葉介が好きだった心を取り戻している。

すごく好きだった。
一番好きだと思った。
私は葉ちゃんが好きで、それだけで幸せだった。

葉ちゃんのいろんな表情を知れば知るほど、それが私の前でだけのものであればあるほど、葉ちゃんを好きになった。

そんな想いが今、また同じように繰り返そうとしてる。

「どうしよう…」

誰にも聞こえないように本当に小さく呟いた。





END.
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