陽だまりの林檎姫
「ありがと、ここまでで十分。」

「ごめん。行ってくるね。」

ミライは書斎の扉をノックして開けると栢木に荷物を返して急ぎ足で食堂へと向かっていく。

「失礼します、栢木です。」

扉を開けてから声をかけるのはいつものことだ。

予想通りに部屋の主は不在、後ろ手に扉を閉めると足を進めてなるべく慎重に机の上に荷物を乗せた。

積み重なっていたものを横に並べて見やすいようにしていく。

「あとで見てくださいね。」

書斎の窓から離れを見つめると栢木はささやかに声をかけた。

届かないと分かっていてもあの場所で北都が働いていると思うとそれだけで気持ちが満たされていく。

空想でしかなかった研究姿は、あの日研究室の中に入れたことによって鮮明に今の様子を想像できるようになった。

あの椅子に座って書き進めているのだろうか、それとも実験器具を使って研究をしている途中だろうか。

思いを馳せることが特別なことに思えて嬉しくて仕方がない。

さあ自室で一休みでもしよう、そう思って書斎から廊下へ繋がる扉に手をかけた時だった。

「え?北都様出かけたの?」

突然聞こえてきた声に手が止まる。

「栢木帰ってきたんでしょ?教えてあげないと。」

「それが言わなくていいって、マリーさんに口止めしたらしいのよ。」

驚くような声が聞こえてきたが栢木の思考はもう止まっていた。

心臓が痛い位に強く響いている。

栢木が衝撃を受けたのは北都が出かけてしまったことにではない、心臓が鷲掴みにされたような感覚を生み出したのは。

「…やだ。」

そう呟くと栢木は勢いよく扉を開けてそのまま階下に急ぎ、片付けをしている御者の方へと走って行った。
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