陽だまりの林檎姫
かつては当たり前の環境だったこの空間を噛みしめ栢木はこれまでの生活を振り返った。

キリュウの事が無ければ自分はきっとこの幸せを当然の様に受け入れ時を過ごしていったのだろう。

いまここで感じていることの尊さを少しばかりキリュウに感謝した。

家族全員が揃う夕食も久しぶりに入るお気に入りの大きな浴槽も、少しばかりの特別を感じて栢木は自室の窓から夜空を見上げる。

空の色は似ていた。

満月より少し欠けた形の月はまるで今の栢木の心の様だ。

あの欠けた部分の名前は何だろう、満たされた気持ちを表す部分は何から出来ているのだろう。

自分の中の自分に問いかけると栢木は立ち上がり部屋から出て行った。

向かう先は昼間真っ先に通されたタオットの書斎室、夜も更けたこの時間でもここにタオットがいるような気がして扉を叩いた。
「父様、アンナです。」

「入りなさい。」

思った通りまだ書斎にいたタオットは中に入る様に声を投げてくれる。

扉を開ければ昼間とは違い、ランプの淡い光が灯った部屋が栢木を迎え入れた。

「夜遅くにごめんなさい。」

「構わないさ。どうかしたのか?」

タオットの言葉に寂しげに頷くと栢木はタオットに座るよう促されたソファに腰かける。

そしてタオットもその向かい側へ移動して座った。

「父様、今回の件では色々と迷惑をかけてすみませんでした。」

「何を言うか。」

「私の為に爵位返還までしようとしていたんでしょう?そこまでさせてしまって…。」

「それは私が決めたことだ。自分の信念に従って進んだ先にあった決断、それにお前が心痛める必要はない。」

タオットの強い眼差しが栢木を射抜く。栢木は一度視線を膝の上で組んだ手に落とすと、意を決したように顔を上げてタオットに向き合った。

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