陽だまりの林檎姫
「…知っている。」

変に構えた挨拶をされたことに北都は思わず笑ってしまう。

こんな時でもスーツ姿の栢木は相変わらずな様子だと懐かしくも嬉しかったのだ。

今まで一緒に過ごしてきた時間に比べるとそう大した時間しか離れていなかったのに懐かしい。

「…久しぶりだな、栢木。」

少し擦れた声で栢木に向けられた言葉、それが栢木の胸を強く打った。

瞳の潤いが増していくのが分かる。悲しい訳ではない、ただ心が震えているだけでこんなにも思いがかき乱されるなんて知らなかった。

「実家に戻りました。そこで北都さんの話も聞いたんです。」

「そうか。」

「私…ずっと迷ってたんです。北都さんに近付いてもいいのかどうか、北都さんは貴族を嫌っているようだったから…っ。」

涙声になりつつあった栢木の言葉に北都は苦笑いをして首を横に振る。

「別に嫌いだった訳じゃない。あの頃はもう大きなものに関わりたくなかっただけだ。どこか遠くで1人になりたいと引き際ばかりを考えていたから。」

思いがけない北都の言葉に栢木の振りきれそうだった感情は波を静めた。

光の加減だからだろうか、それとも久しぶりに見るからだろうか、かつて見たことも無いほど穏やかな北都の雰囲気に不安な心は落ち着いていく。

栢木の思いが救われた気がした。

「本当は栢木の名前から離れる為に実家に戻りました。でも父に連れて行けと言われたんです。栢木の名前はいつか北都さんを守るための武器にもなるかもしれないと…だから私は栢木アンナとして生きることにしました。」

目を閉じなくてもあの日の記憶は栢木の中でいつまでも鮮明に思い出せる。

「この名前は私にとって誇りですから。」

泣くまいと必死に耐えながら言葉を紡ぐ栢木の様子に北都は微笑ましく頷いた。

そして薬草たちを見渡してあれからの自分を思い出して目を閉じる。

「あの薬を開発してから俺は常に求められてきた。でもあれは患っていたからこそできたもので、俺に特別なものが無いことは自分自身がよく分かっている。俺以外にも会社への過度な期待が感じられて焦りと投げやりな気持ちがずっと続いていたんだ。」
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