陽だまりの林檎姫
手がかかると言うのだろうか。

講演会があったにしても、よくもまあここまで逃げてくれたものだと呆れながらも感心してしまう。

何度も繰り返し大方の予想が付いたため今回も見つかったから良かったが、もし見つからなかったらと考えるだけで恐ろしい。

その時はクビだなと心の中で呟いた言葉に乾いた笑いがもれた。

家路は遠い、しかし相変わらず達成感のない仕事ぶりを悶々と考えている間に着々と屋敷は近付いていた。

ぼんやりとしていたらもう屋敷は目の前だ。

大きな門を通り過ぎ広い庭の先にあるロータリーに馬車が止まったのを感じると栢木はようやく声をかけた。

「北都さん、到着しました。」

微かに北都の目が開くと同時に御者が扉を叩く音がして栢木がノブに手をかける。

「おかえりなさいませ、北都様。」

「おかえりなさいませ。」

扉が開くなり見えた景色は屋敷の主人を迎える使用人たちの列だった。

当然の様に堂々とした姿で馬車から降りれば無関心にその間を通り抜け、北都はそのまま私室の隣にある仕事部屋へと向かう。

「お前はもう下がれ。」

階段を上る少し手前、後ろを歩く栢木に背中で命を出すとまたいつものように見えない壁を作っていく。

「…はい。」

突き放された栢木はそれ以上足を進めることが出来ずに立ち止まり、そのまま北都を見送った。

時間が進むにつれて遠くなる背中を眺めるのもいつもの事だ、やるせない気持ちになるのも、いつもの事。

「おかえりなさい、栢木。」

背後からかかった優しい声に栢木の心は一気に温度を取り戻し振り向いた。

声の主は今では栢木の母親代わりの存在になっている老婆のマリーだ。
< 8 / 313 >

この作品をシェア

pagetop