陽だまりの林檎姫
今ならまだ近くに栢木がいるかもしれない。

そう思った通り、扉を開けた向こうにはまだ栢木の姿があった。

中庭の中央辺りを歩く栢木の声が届くだろうか。

「かや…。」

いつもの調子で声をかけようとした瞬間、北都は言葉を詰まらせて押し込めてしまった。

ああ、そうか。

そんな納得の言葉を胸の内で漏らす。

言葉を無くした北都は扉に手をかけたまま立ち尽くし栢木の姿を目で追い続けた。

何てことない風景だ。

屋敷に向かって歩く栢木の自然な仕草、草花を見たり高木を眺めたり、風が吹き抜ければ舞い散る葉や花びらに目を細めたり。

ごく日常の平凡な幸せを感じて歩く栢木の姿だ。

しかしそこには一般の人間にはない品の良さがあった。

多少言葉が荒れていようと栢木は紛れもなく貴族、しかも伯爵家という身分の持ち主であることは間違いない。

気取らず親しみやすい振る舞いをしていたとしても貴族社会で生きてきた芯は確かに残っている。

どれだけ言葉を崩し、衣服を軽くしたとしても節々にその名残は見えた。

常に人に見られているという意識を持つ群れの中で、美しさを競い合う世界の中で栢木はこれまで生きてきたのだ。

介抱されて自由に生きていたとしてもその姿勢の良さや仕草は品格を表していた。

空を仰いで微笑む、ただそれだけの動きだけでも見惚れてしまう様な感覚に捕らわれるのはきっとそのせいだ。

さっき触れたばかりの右手の指先にはまだあの時の感触が残っているというのに。
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