黒騎士は敵国のワケあり王女を奪いたい
「そうだ、これからきみをなんて呼ぼうか。正体がバレたら困るから、きみがミネットの王女だとわからないような名前がいい」
オスカーは首を捻り、いくつかの候補をあげたけれど、どれもフェリシティには似合わないと、納得のいかない様子だった。
フェリシティはオスカーの提案のすべてに賛成した。
誰かに呼んでもらえるのなら、どんな名前だってよかった。
ふと、かつてひとりだけ、幽閉された王女に愛称を与えてくれた男がいたことを思い出した。
ブロムダール城の煙突掃除人で、左の目の下に大きな古い傷があり、年に一度だけ訪れ、いつも他の人とは違う名前で王女を呼んだ。
フェリシティはしばらくモジモジとはにかんだあと、小さな声でお願いした。
「フィリーと呼んでくれないかしら」
肩をぶつけた衝撃で目が覚めた。
高窓から薄い朝日が差し込み、小鳥が夜明けを歌っている。
波の音はしない。
その代わり、廊下や階段を行き交うたくさんの人の足音が聞こえてきた。
フィリーは床に仰向けになり、大きく息を吸い込む。
ベッドから落ちる癖は治らなかったけれど、十七年で一番完璧な朝だ。
あと何度朝を迎えても、きっとこの日を忘れないだろう。
フィリーはむくりと起き上がり、すみれ色のペチコートとローブを被った。
コルセットはつけられなかったし、ドレスの裾は破けているけれど、この際は仕方がない。