黒騎士は敵国のワケあり王女を奪いたい
1.
波の音を百まで数え、フェリシティは本を閉じた。
褪せた灰色の表紙を細い指がなぞる。
十二年前、ブロムダール城の煙突掃除屋がその本を贈ったとき、フェリシティはまだ字を読めなかった。
文字がわかるようになったら、火竜のフィルを従えた伝説の騎士は、湖に浮かぶ城に幽閉されたフェリシティを夜毎外へ連れ出した。
けれど、本を閉じるとフェリシティだけはいつも同じ部屋にいる。
フェリシティは本を椅子の上に置き、腰高の窓から冬の夜を見下ろした。
亜麻色の髪がするりと肩を落ちる。
城の外では波の隙間に星が揺れ、汀に砕けて光っていた。
満月に引かれた入り江は大潮となり、石橋のアーチはほとんど湖水に満たされている。
向こう岸に見える伯爵邸にはまだ明かりが灯っていた。
今夜はきっと、フェリシティを迎えにきた近衛師団のもてなしに大忙しだろう。
潮が引いて朝になったら、フェリシティは生まれてはじめて石橋を渡ることを許される。
城を出て王都へ向かい、許嫁と結婚式を挙げるのだ。
フェリシティは窓辺に頬杖をつき、翠色の目を静かに閉じた。
また一から波の数を数える。
でもこの夜が終わったら、夢の騎士はもう待てない。