黒騎士は敵国のワケあり王女を奪いたい
キール伯爵邸のそばまで来ると、屋敷の前に大勢の人が詰めかけているのがわかった。
怒ったり、怯えたり、喚いたりしながら、伯爵邸の煙突を指差している。
屋根の上に黒っぽい小さな人影が見えた。
フィリーだ。
ギルバートは弾かれたように走り出した。
人混みをかき分け、アプローチに駆け込む。
「フランツ!」
鋭く呼びつけると、庇の下に集まった使用人たちの間から家令がひょっこりと顔を出した。
不安そうなカミラが後ろをついてくる。
「おかえりなさいませ、閣下」
「あの娘はいったいなにをしている」
ギルバートは返事もせずに問い詰めた。
フランツが屋根を見上げて答える。
「煙突掃除でございます」
そんなことはわかっている。
フィリーは黒い服を着てブラシを担ぎ、真剣な顔で煙突の煤を落としているようだった。
ギルバートが苛立って睨むと、フランツは平然と肩を竦めた。
あまりに幼い頃からギルバートをあやしてきたせいで、多少のことでは動揺もしない。
「屋敷から出すなという閣下の言いつけには従っております。まさか、あの狭い客室に監禁しろという意味ではございませんでしたね。煙突が詰まって逆流してしまうので、掃除をしないことには暖炉もかまども使えません。屋敷の管理については私に権限がございます。もちろんほかに煙突掃除ができる者を探しましたが、北区のダヴィトは娘の出産、東区のヤロは足を骨折、西区のジェレミーはまだ泥酔していて、南区のヨッヘムは……」
ギルバートはそれ以上待っていられなかった。